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それまでは「きよ」「たき」のような二音節の名前が主流でしたが、二音節の後ろに接尾語の「い」「え(ゑ)」「の」「よ」「を」を付けた名前が地域限定で流行り出したのです。

明治時代の変体かなで書かれた女性名を読むとき、その当時、どのような名前があったのかを知っておくと解読の助けになります。

先祖調査をしていると、ご先祖の住んでいた場所(故地)がどのような土地であったのかが気になるものです。

日本の先祖調べがアメリカのような国民的な趣味に育つかどうかは、どこまで手軽に情報が手に入るようになるかにかかっています。
アメリカのように国勢調査の記録、軍隊記録、墓地の記録、移民の記録などが、インターネットで自宅に居ながら検索できるようになれば、ちょっと調べてみようかと思う人も多くなるはず。そして、何らか記録が見つかれば、そこから興味が出始めるようになるでしょう。

明治3(1870)年9月19日、太政官より「自今平民苗字差許候事(いまより平民苗字差し許され候事)」という布告が出たされたことから、9月19日は 「苗字の日」とされています。

江戸時代から明治にかけての女性名は記録に散見されますが、宗門人別改帳などを見ると男性名よりも同名の率が高いことから、個々を区別するためには「〇〇のたき」のように、名前の前に屋号などを冠して呼んでいたものと推測されます。

江戸時代の古文書や古い戸籍を読むとき、一番解読者を悩ませるのは固有名詞と言われています。通常、くずし字は文の流れで内容を類推し、そこに当てはまる文字の候補を絞り込みながら読むようにと習いますが、人名のような固有名詞にはその方法が使えず、前後の文からヒントを得ることができません。そのため解読者泣かせといわれ、古文書に熟練している人でも不明の部分だけを抜き出して解読してほしいと言われると、誤読する懸念をいだきます。そのリスクを減らすには、江戸時代から明治時代の男性人名によく使われていた文字を知ることが役立ちます。

家族の歴史を調べるとき、インタビューは貴重な情報源となりますが、家族や親戚にどんなことを質問すればいいのか分からないかも知れません。そんなときは、ここに書かれている質問をしてみて下さい。

家系図の名言

2020年02月13日

アメリカの詩人で、系図学者としても有名なLaurence Overmireは家族歴史とはどういうものかについて、心にしみる名文をたくさん書いています。彼の名言の中から、私の好きなものをいくつか紹介しましょう。

アメリカなどには家系図作成を業務とする専門家の調査レベルを試験によって認定する協会がありますが、日本にはそういう機関が存在しません。そのため、家系図の製作を依頼する人は業者のホームページやパンフレットを見て、自分の目で業者のレベルを判断しなければなりません。ですが、そもそも家系図について詳しくない依頼者が業者のレベルや安心して任せられるかどうかを自力で選ぶことは非常に難しいと言わざるをえません。そこで、レベルが高く、安心して依頼できる家系図作成業者の選び方について重要なポイントをいくつかお話ししましょう。

ネットで検索すると、数多くの業者がヒットしますが、業者に対する問い合わせは、見積を兼ねたものになってしまうため、問い合わせた後、ステップメールなどがしつこく来ることもあるでしょう。そういうわずらわしさが無く、しかも専門的な質問に答えられるということになると、ネットで検索しても良い問い合わせ先が見つかりません。

戦時中に約1万6,760ほどあった市町村には兵事係が置かれ、赤紙(臨時召集令状)を配っていました。
昭和20(1945)年8月15日、終戦になると、警察署からの命令で市町村にあった兵事記録は速やかに焼却し、その目録を作成して陸海軍に提出するように伝えられました。ほとんどの市町村の兵事係はこの命令に従って大量の書類を数日かけて燃やしましたが、「こんな貴重な記録は焼けない」と反発し、密かに自宅などへ運び込んだ者もいたのです。そうして奇跡的に残された兵事記録としては、富山県庄下村(現砺波市)のものが有名です。その数は8,000点に及び、明治10(1877)年の西南戦争から大東亜戦争まで、村から出征したすべての兵士の詳細な記録が失われずに守られました。

外国では日本の戸籍制度のことをファミリー・レジストレーション(Family Registration )と呼んでいますが、このような制度があるのは日本、中国、台湾だけです。韓国にもありましたが、2007年に廃止されました。

本籍地の調べ方

2019年12月16日

住民登録している住所と本籍地が異なると、自分の本籍地が分からなくなめことがあります。昔は運転免許証に本籍地が記載されていましたが、現在はそれもないため、確認したいと思う人もいるでしょう。

松下姓の由来

2019年12月13日

朝ドラの「スカーレット」に出演中の松下洸平さんは東京出身。この松下という苗字は地名発祥で、全国の松下地名から生まれました。使用人数は13万7000人ほど。関東以西に広く分布していますが、とくに静岡県と鹿児島県に多くの方が住んでいます。

私はこれまで多くの方に先祖調査の方法をお教えしてきましたが、戸籍調査が完了した後は、土地関連の調査に進むことをお勧めしています。

寄留簿について

2019年12月02日

寄留簿 とは、本籍地を移動せずに人が転居した場合、その実態を把握するために役場で作製したものです。流入者は「入寄留簿」につづり、流出者は「出寄留簿」につづりました。明治19(1886)年の戸籍法改正によって役場に備え付けられるようになり、大正3(1914)年には「寄留法」も成立しました。これにより90日以上本籍地以外の市町村に寄留するときには、10日以内に届けなければ5円以下の過料を払わなければならなくなりました。

0歳児があと何年生きられるかの期待値を平均余命(平均寿命)といいます。
大正14(1925)年の調査によれば、現在から94年前の平均余命は何と42.6歳でした。織田信長が舞った謡曲敦盛の「人生五十年...」にも遠く及びません。これほど平均余命が短い原因は、乳幼児の死亡率の高さと青年期の肺結核による死亡率の高さでした。
男性の平均寿命が79.64歳、女性の平均寿命が86.39歳の現代では信じられないような数字ですが、約100年前の人々の感覚では、45歳まで生きられれば長生きしたという実感があったかもしれません。それほど死は身近にあり、若くして亡くなる人が家族や知り合いに多くいたのです。古い戸籍を見ても、若死にした親族の多さに驚きます。
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王政復古により神道を国家宗教とした明治政府は明治4(1871)年4月、「郷社定則」「大小神社氏子調方」「大小神社神官守札差出方心得」という通達を矢継ぎ早に出し、戸籍編製区のうちに郷社(府県社の下で村社の上)を設置し、国民は必ずこの郷社の氏子になるように命じました。そして郷社は彼らを「氏子帳」に記載し、氏子は戸長(村長)を通じて「氏子守札」を必ず受け取り、これを「帝国臣民の国籍所有の証明書」として終生所持するように命じられたのです。

女紋について

2019年11月13日

女紋というのは、嫁いだ女性が実家の家紋を使う慣習です。江戸時代からある伝統で、現在でも西日本を中心に続いています。女紋の決め方には何通りかあります。

手越姓の由来

2019年11月09日

NEWSの手越祐也さんの苗字「てごし」は珍しいですね。全国に約140人しかいません。大阪府や広島県に密集がみられ、由来は地名発祥です。
静岡市駿河区に手越という地名があり、鎌倉時代から記録に登場します。語源は隣の向敷地から当地を通って丸子に向かう古道を「手児(てこ)の呼坂」と言い、これが短縮したものとも、安倍川を人の手で渡ったことにちなむともいわれています。手越という地名は茨城県などにもあり、いずれも川岸にあることから、語源としては後者の渡し船説のほうが有力です。
駿河の戦国大名今川義元に仕えた手越松三郎は上記の地名から出た家と考えられています。宮城県の伊達政宗の家臣にも手越内膳という武将がいたと『蒲生氏郷記』に見えます。

菅生姓の由来

2019年11月02日

俳優の菅田将暉さんの菅田を「すだ」と読ませるのは珍しいなと思っていたら、本名は菅生(すごう)さんとのこと。
菅生は地名発祥の苗字です。大阪府堺市に菅生神社があり、この神社は菅生氏の氏神(祖先を祀る社)とされ、菅原道真を祀っています。
語源も菅原と同じ。笠や蓑の材料になる菅の生えている湿地や草地のことで、「すが」が「すご」に転訛し、その後ろに発生を意味する「生(う)」が付いた形です。
ただし、『播磨国風土記』の菅生山の項には面白い伝説が紹介されています。第15代応神天皇が巡幸のとき井戸を掘ると、その井戸から湧き出る水がたいへん清く冷たいことから、天皇が「わが心すがすがし」と言ったことにちなむという説です。「すがすがし」から「すごう」。いい話ですね。
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戸籍の盲信は危険です。戦後の戸籍の信頼性はおおむね大丈夫だとしても、戦前、とくに明治の戸籍には信頼度に問題があります。
明治5(1872)年に作製された壬申(じんしん)戸籍の原本は法務省が厳重に管理していますが、閲覧が可能だったころ、写本を入手していまでも保管している家があります。そのような家の壬申→明治19年式戸籍→明治31年式→大正4年式の戸籍を一連の流れとして検証する機会がこれまでに何度もありましたが、そこで分かったことは、戸籍は決して一次史料ではなく、またオリジナルでもないということです。
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内村姓の由来

2019年10月18日

タレントの内村光良さんの内村という苗字は使用人数が約2万人で九州南部に多い。光良さんは熊本県の出身。体操競技で3つの金メダルを獲得した 内村航平選手も九州出身である。
この苗字は地名から発祥しているが、その語源はいくつか考えられる。
まず地形の「うち」とは何かの内側を意味し、山、川、海などが内陸に入り込んでいる場所をいう。そういう場所に村が成立すると、内村という地名が生まれた。
また中世の私領である荘園の内部にある村も内村と呼ばれる可能性があった。
かつて肥後国にあった内村という村落は現在、熊本県熊本市北区植木町内として残っている。
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椎名姓の由来

2019年10月18日

歌手の椎名林檎 さんの椎名という苗字は使用人数が約2万9000人で、関東に多く、とくに千葉県に密集している。
地名発祥の苗字である。下総国千葉郡(千葉市緑区椎名崎町)、同海上郡(旭市椎名内)の椎名地名が有名で、そこから第50代桓武天皇(737~806)の流れをくむ桓武平氏千葉氏族の子孫という椎名氏が生まれた。『千葉系図』に「上総介(千葉)常重ー胤光(椎名五郎)」と見える。九曜紋を好んで使う。中世には一族は越中国(富山県)に移って新川郡の守護代となったが、元亀4(1573)年、上杉謙信に攻められて追われた。

ニューヨーク市立大学の分子生物学のネイサン・H・レント教授はアメリカのネットにアップされている家系図の信ぴょう性について疑問を投げかけている。
個人が趣味で作った家系図が大量にアップされているが、これらの主な情報源になっている国勢調査記録は決して完全ではない。申告者は都合の悪い過去を隠すため、嘘を書き、名前を変え、過去をねじ曲げることもあったのだ。
親子関係も慎重に検討する必要がある。中世以来、ヨーロッパでは未婚の母親が産んだ子をひそかに他人の実子として育てることがよくあった。洗礼記録や国勢調査記録では実子になっているが、事実は違っていたのである。
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