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王政復古により神道を国家宗教とした明治政府は明治4(1871)年4月、「郷社定則」「大小神社氏子調方」「大小神社神官守札差出方心得」という通達を矢継ぎ早に出し、戸籍編製区のうちに郷社(府県社の下で村社の上)を設置し、国民は必ずこの郷社の氏子になるように命じました。そして郷社は彼らを「氏子帳」に記載し、氏子は戸長(村長)を通じて「氏子守札」を必ず受け取り、これを「帝国臣民の国籍所有の証明書」として終生所持するように命じられたのです。

女紋について

2019年11月13日

女紋というのは、嫁いだ女性が実家の家紋を使う慣習です。江戸時代からある伝統で、現在でも西日本を中心に続いています。女紋の決め方には何通りかあります。

手越姓の由来

2019年11月09日

NEWSの手越祐也さんの苗字「てごし」は珍しいですね。全国に約140人しかいません。大阪府や広島県に密集がみられ、由来は地名発祥です。
静岡市駿河区に手越という地名があり、鎌倉時代から記録に登場します。語源は隣の向敷地から当地を通って丸子に向かう古道を「手児(てこ)の呼坂」と言い、これが短縮したものとも、安倍川を人の手で渡ったことにちなむともいわれています。手越という地名は茨城県などにもあり、いずれも川岸にあることから、語源としては後者の渡し船説のほうが有力です。
駿河の戦国大名今川義元に仕えた手越松三郎は上記の地名から出た家と考えられています。宮城県の伊達政宗の家臣にも手越内膳という武将がいたと『蒲生氏郷記』に見えます。

菅生姓の由来

2019年11月02日

俳優の菅田将暉さんの菅田を「すだ」と読ませるのは珍しいなと思っていたら、本名は菅生(すごう)さんとのこと。
菅生は地名発祥の苗字です。大阪府堺市に菅生神社があり、この神社は菅生氏の氏神(祖先を祀る社)とされ、菅原道真を祀っています。
語源も菅原と同じ。笠や蓑の材料になる菅の生えている湿地や草地のことで、「すが」が「すご」に転訛し、その後ろに発生を意味する「生(う)」が付いた形です。
ただし、『播磨国風土記』の菅生山の項には面白い伝説が紹介されています。第15代応神天皇が巡幸のとき井戸を掘ると、その井戸から湧き出る水がたいへん清く冷たいことから、天皇が「わが心すがすがし」と言ったことにちなむという説です。「すがすがし」から「すごう」。いい話ですね。
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戸籍の盲信は危険です。戦後の戸籍の信頼性はおおむね大丈夫だとしても、戦前、とくに明治の戸籍には信頼度に問題があります。
明治5(1872)年に作製された壬申(じんしん)戸籍の原本は法務省が厳重に管理していますが、閲覧が可能だったころ、写本を入手していまでも保管している家があります。そのような家の壬申→明治19年式戸籍→明治31年式→大正4年式の戸籍を一連の流れとして検証する機会がこれまでに何度もありましたが、そこで分かったことは、戸籍は決して一次史料ではなく、またオリジナルでもないということです。
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椎名姓の由来

2019年10月18日

歌手の椎名林檎 さんの椎名という苗字は使用人数が約2万9000人で、関東に多く、とくに千葉県に密集している。
地名発祥の苗字である。下総国千葉郡(千葉市緑区椎名崎町)、同海上郡(旭市椎名内)の椎名地名が有名で、そこから第50代桓武天皇(737~806)の流れをくむ桓武平氏千葉氏族の子孫という椎名氏が生まれた。『千葉系図』に「上総介(千葉)常重ー胤光(椎名五郎)」と見える。九曜紋を好んで使う。中世には一族は越中国(富山県)に移って新川郡の守護代となったが、元亀4(1573)年、上杉謙信に攻められて追われた。

内村姓の由来

2019年10月18日

タレントの内村光良さんの内村という苗字は使用人数が約2万人で九州南部に多い。光良さんは熊本県の出身。体操競技で3つの金メダルを獲得した 内村航平選手も九州出身である。
この苗字は地名から発祥しているが、その語源はいくつか考えられる。
まず地形の「うち」とは何かの内側を意味し、山、川、海などが内陸に入り込んでいる場所をいう。そういう場所に村が成立すると、内村という地名が生まれた。
また中世の私領である荘園の内部にある村も内村と呼ばれる可能性があった。
かつて肥後国にあった内村という村落は現在、熊本県熊本市北区植木町内として残っている。
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ニューヨーク市立大学の分子生物学のネイサン・H・レント教授はアメリカのネットにアップされている家系図の信ぴょう性について疑問を投げかけている。
個人が趣味で作った家系図が大量にアップされているが、これらの主な情報源になっている国勢調査記録は決して完全ではない。申告者は都合の悪い過去を隠すため、嘘を書き、名前を変え、過去をねじ曲げることもあったのだ。
親子関係も慎重に検討する必要がある。中世以来、ヨーロッパでは未婚の母親が産んだ子をひそかに他人の実子として育てることがよくあった。洗礼記録や国勢調査記録では実子になっているが、事実は違っていたのである。
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渋沢栄一と輪鼓紋

2019年09月10日

2021年のNHK大河ドラマが渋沢栄一を主人公にした『青天を衝(つ)け』に決まりました。
渋沢といえば、生涯に約500社の創業に関わったという近代資本主義を推し進めた人物です。
大正4(1915)年に刊行された『大正名家録』という紳士録を見ていると、渋沢が明治30(1897)年に創業した渋沢倉庫株式会社が掲載されていました。銀行の担保品を補完するために設立された会社ですが、その頁で目を引いたのが、社名の上に描かれていた社章です。
これは渋沢栄一の生家が藍玉(染料)の販売をするときに用いていた印で、渋沢家では「榺(ちぎり。千切り)」と呼ばれていました。榺とは機織りに付けられていた糸巻のことですが、この家紋の形状は榺ではなく、輪鼓(りゅうご)そのものです。
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家系図を作ると、そこに記されているご先祖と自分の関係が気になるものです。単に血でつながっているだけなのか、それとも生きる上でもっと深い影響を具体的に何か受けているのか。それを科学的に探る方法が実は三つあるのです。

アメリカのルーツブームは最近ますます過熱している感があります。
ミシガン大学の人類学者ビバリー・ストラスマンは今年、「先祖調べはアメリカで2番目に人気のある趣味になった」と発表しました。ちなみに1番はガーデニングです。
また、先祖調べに関連するWebサイトはアメリカでポルノに次いでアクセスの多いサイトであることも報告されました。
収益性の高いWebサイト、テレビ番組(アメリカ版ファミリーヒストリー)、関連書籍、市販の遺伝子検査キットなどによって、アメリカのルーツ産業は10億ドル規模に急成長しているとのこと。

札幌は34年ぶりの猛暑だとか。家電量販店から扇風機が消えたと言いますが、そりゃ無理もないでしょう。いまだにクーラーを設置している家が少ない北海道では、扇風機でもないととてもこの暑さは耐えられませんね。

月に1回、札幌市のちえりあで江戸(近世)、明治(近代)の地方(村方)文書や武家文書を読む勉強会を開催します。

苗字には「やまざき」「なかじま」「たかた」のように濁るものと、「やまさき」「なかしま」「たかた」のように濁らないものがある。この違いは連濁が発生しているかどうかである。

幻の赤鳥紋

2019年05月17日

日本に家紋は2万種類以上あると言われているが、その中には長い間、図形が分からなかったものもあった。

ようやく札幌も桜が咲く季節になりましたね。花粉症は困りますが、気候的にはさわやかで、一年でもっとも過ごしやすい時期の到来です。どこかドライブにでも出かけたくなりますね。

北里柴三郎は明治18(1885)年、ドイツのベルリン大学に留学し、破傷風菌抗毒素を発見し、次いで血清療法を開発して医学界に大きな貢献をした。帰国後は伝染病研究所、北里研究所(北里大学の前身)を創立し、コレラ・チフス・赤痢の研究で成果をあげた。その功により大正13(1924)年には男爵が授けられている。

津田梅子のルーツ

2019年04月17日

明治6(1873)年、わずか6歳で岩倉使節団に加わり、アメリカに留学した津田梅子は、帰国すると女子英学塾を開き、女性の教育に尽力した。この塾が現在の津田塾大学の前身である。

渋沢栄一のルーツ

2019年04月17日

1万円札は500以上の企業の設立に関わった実業家の渋沢栄一、5千円札は津田塾大学の創立者津田梅子、千円札は細菌学者で北里大学創立者の北里柴三郎に決まった。そこで渋沢栄一のルーツを紹介しよう。

戦前の旧民法のもとで作製された除籍簿を読み解いていると、さまざまな家の呼称が出てくる。旧民法のもとでは家制度が重要であったから、家を細かく規定するのは当然だが、現在では用語から意味をすぐに判断できないものもある。

まずは東の香取さん。香取慎吾さんで有名だが、彼は横浜市の出身。地名の香取といえば千葉県香取市があり、ここには下総国の一之宮で、全国にある香取神社の総本社である香取神宮が鎮座している。この香取神宮の祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)。別名を伊波比主命(いわいぬしのみこと)ともいう。この神様は『日本書紀』によれば天孫降臨の先兵として、天照大神の命を受けて鹿島神(常陸国の一之宮鹿嶋神宮の祭神)の武甕雷男神(たけみかづちおのかみ)と共に出雲国に下向し、大国主命に国譲りを迫り、それに反対した大国主の息子建御名方命(たけみなかたのみこと)を諏訪へ追放した武神とされている。藤原氏が氏神として崇敬したことでも知られる。

家系図を作成するとき、まずは戸籍と除籍から調査をスタートさせる。自分の戸籍、父親の戸籍か除籍、祖父の戸籍か除籍、曽祖父からはまず除籍だろう。一つ一つ除籍を取得して明治19年式まで入手できれば順調である。役所の廃棄状況によっては明治31年式、あるいは大正4年式しか残されていないという場合もある。反対に、近代最初の明治5年(1872)の壬申戸籍は閲覧が禁止されているので、最初からあきらめるしかない。

明治28年(1895)4月17日、下関条約で台湾が清国から割譲されると、日本政府は台北市に台湾総督府を設置し、初代総督として樺山資紀海軍大将(旧薩摩藩士。孫に白洲正子氏あり)が赴任した。その後も桂太郎、乃木希典、児玉源太郎、明石元次郎など陸軍の大物将軍が任命され、総督を補佐する総務長官にも後藤新平、下村宏などそうそうたる人材が送りこまれた。

江戸時代の武士は名前を二つ持っていた。通称と実名である。赤穂義士の大石の通称は内蔵助で、実名は良雄。西郷の通称は吉之助で、実名は隆永。いまは隆盛の名前で知られているが、実は隆盛は父親の実名で、西郷のものではない。維新の功績に対して朝廷から位階が授けられたとき、西郷は友人の吉井友実に手続きを頼んだ。そのとき吉井が誤って父親の名前を届けてしまったのである。実名は諱(忌み名)ともいい、忌む言葉、口に出して言うのをはばかる名前だった。そのため、たとえ友人であっても知らないことがあり、一生の間で使う場面は系図に書き込むか、死後に家族が墓石に彫るときくらいだった。しかし、西郷が位階拝受のとき朝廷に届けたことでも分かる通り、名前としては通称よりも実名の方が格上と思われていた。

北国もすっかり春らしい陽気になりましたね。私の家のまわりの雪もかなり融けました。