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まずは東の香取さん。香取慎吾さんで有名だが、彼は横浜市の出身。地名の香取といえば千葉県香取市があり、ここには下総国の一之宮で、全国にある香取神社の総本社である香取神宮が鎮座している。この香取神宮の祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)。別名を伊波比主命(いわいぬしのみこと)ともいう。この神様は『日本書紀』によれば天孫降臨の先兵として、天照大神の命を受けて鹿島神(常陸国の一之宮鹿嶋神宮の祭神)の武甕雷男神(たけみかづちおのかみ)と共に出雲国に下向し、大国主命に国譲りを迫り、それに反対した大国主の息子建御名方命(たけみなかたのみこと)を諏訪へ追放した武神とされている。藤原氏が氏神として崇敬したことでも知られる。

家系図を作成するとき、まずは戸籍と除籍から調査をスタートさせる。自分の戸籍、父親の戸籍か除籍、祖父の戸籍か除籍、曽祖父からはまず除籍だろう。一つ一つ除籍を取得して明治19年式まで入手できれば順調である。役所の廃棄状況によっては明治31年式、あるいは大正4年式しか残されていないという場合もある。反対に、近代最初の明治5年(1872)の壬申戸籍は閲覧が禁止されているので、最初からあきらめるしかない。

明治28年(1895)4月17日、下関条約で台湾が清国から割譲されると、日本政府は台北市に台湾総督府を設置し、初代総督として樺山資紀海軍大将(旧薩摩藩士。孫に白洲正子氏あり)が赴任した。その後も桂太郎、乃木希典、児玉源太郎、明石元次郎など陸軍の大物将軍が任命され、総督を補佐する総務長官にも後藤新平、下村宏などそうそうたる人材が送りこまれた。

江戸時代の武士は名前を二つ持っていた。通称と実名である。赤穂義士の大石の通称は内蔵助で、実名は良雄。西郷の通称は吉之助で、実名は隆永。いまは隆盛の名前で知られているが、実は隆盛は父親の実名で、西郷のものではない。維新の功績に対して朝廷から位階が授けられたとき、西郷は友人の吉井友実に手続きを頼んだ。そのとき吉井が誤って父親の名前を届けてしまったのである。実名は諱(忌み名)ともいい、忌む言葉、口に出して言うのをはばかる名前だった。そのため、たとえ友人であっても知らないことがあり、一生の間で使う場面は系図に書き込むか、死後に家族が墓石に彫るときくらいだった。しかし、西郷が位階拝受のとき朝廷に届けたことでも分かる通り、名前としては通称よりも実名の方が格上と思われていた。

北国もすっかり春らしい陽気になりましたね。私の家のまわりの雪もかなり融けました。

古文書解読の話

2019年03月09日

欧米には家系調査士という依頼者のファミリーヒストリーを探る専門家がいる。日本にも家系図を代理で作製する業者はいるが、大半は戸籍と除籍を取り寄せるだけで大して知識はいらない。それに比べると、欧米の家系調査士は古い記録、文献について広く、深い知識を持った本当のプロ、スペシャリストが多い。

その理由は渡辺さんのご先祖といわれる英雄渡辺綱(953-1025年)が鬼退治をしたからである。渡辺綱といえば、源頼光四天王の一人で、仲間の坂田金時(金太郎さん)、碓井貞光、卜部季武とともに大江山(京都府西京区)で酒呑童子という鬼の化物を退治したことで知られるが、実は単独でも鬼と戦っているのだ。