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苗字には「やまざき」「なかじま」「たかた」のように濁るものと、「やまさき」「なかしま」「たかた」のように濁らないものがある。この違いは連濁が発生しているかどうかである。

幻の赤鳥紋

2019年05月17日

日本に家紋は2万種類以上あると言われているが、その中には長い間、図形が分からなかったものもあった。

ようやく札幌も桜が咲く季節になりましたね。花粉症は困りますが、気候的にはさわやかで、一年でもっとも過ごしやすい時期の到来です。どこかドライブにでも出かけたくなりますね。

北里柴三郎は明治18(1885)年、ドイツのベルリン大学に留学し、破傷風菌抗毒素を発見し、次いで血清療法を開発して医学界に大きな貢献をした。帰国後は伝染病研究所、北里研究所(北里大学の前身)を創立し、コレラ・チフス・赤痢の研究で成果をあげた。その功により大正13(1924)年には男爵が授けられている。

津田梅子のルーツ

2019年04月17日

明治6(1873)年、わずか6歳で岩倉使節団に加わり、アメリカに留学した津田梅子は、帰国すると女子英学塾を開き、女性の教育に尽力した。この塾が現在の津田塾大学の前身である。

渋沢栄一のルーツ

2019年04月17日

1万円札は500以上の企業の設立に関わった実業家の渋沢栄一、5千円札は津田塾大学の創立者津田梅子、千円札は細菌学者で北里大学創立者の北里柴三郎に決まった。そこで渋沢栄一のルーツを紹介しよう。

戦前の旧民法のもとで作製された除籍簿を読み解いていると、さまざまな家の呼称が出てくる。旧民法のもとでは家制度が重要であったから、家を細かく規定するのは当然だが、現在では用語から意味をすぐに判断できないものもある。

まずは東の香取さん。香取慎吾さんで有名だが、彼は横浜市の出身。地名の香取といえば千葉県香取市があり、ここには下総国の一之宮で、全国にある香取神社の総本社である香取神宮が鎮座している。この香取神宮の祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)。別名を伊波比主命(いわいぬしのみこと)ともいう。この神様は『日本書紀』によれば天孫降臨の先兵として、天照大神の命を受けて鹿島神(常陸国の一之宮鹿嶋神宮の祭神)の武甕雷男神(たけみかづちおのかみ)と共に出雲国に下向し、大国主命に国譲りを迫り、それに反対した大国主の息子建御名方命(たけみなかたのみこと)を諏訪へ追放した武神とされている。藤原氏が氏神として崇敬したことでも知られる。

家系図を作成するとき、まずは戸籍と除籍から調査をスタートさせる。自分の戸籍、父親の戸籍か除籍、祖父の戸籍か除籍、曽祖父からはまず除籍だろう。一つ一つ除籍を取得して明治19年式まで入手できれば順調である。役所の廃棄状況によっては明治31年式、あるいは大正4年式しか残されていないという場合もある。反対に、近代最初の明治5年(1872)の壬申戸籍は閲覧が禁止されているので、最初からあきらめるしかない。

明治28年(1895)4月17日、下関条約で台湾が清国から割譲されると、日本政府は台北市に台湾総督府を設置し、初代総督として樺山資紀海軍大将(旧薩摩藩士。孫に白洲正子氏あり)が赴任した。その後も桂太郎、乃木希典、児玉源太郎、明石元次郎など陸軍の大物将軍が任命され、総督を補佐する総務長官にも後藤新平、下村宏などそうそうたる人材が送りこまれた。

江戸時代の武士は名前を二つ持っていた。通称と実名である。赤穂義士の大石の通称は内蔵助で、実名は良雄。西郷の通称は吉之助で、実名は隆永。いまは隆盛の名前で知られているが、実は隆盛は父親の実名で、西郷のものではない。維新の功績に対して朝廷から位階が授けられたとき、西郷は友人の吉井友実に手続きを頼んだ。そのとき吉井が誤って父親の名前を届けてしまったのである。実名は諱(忌み名)ともいい、忌む言葉、口に出して言うのをはばかる名前だった。そのため、たとえ友人であっても知らないことがあり、一生の間で使う場面は系図に書き込むか、死後に家族が墓石に彫るときくらいだった。しかし、西郷が位階拝受のとき朝廷に届けたことでも分かる通り、名前としては通称よりも実名の方が格上と思われていた。

北国もすっかり春らしい陽気になりましたね。私の家のまわりの雪もかなり融けました。

古文書解読の話

2019年03月09日

欧米には家系調査士という依頼者のファミリーヒストリーを探る専門家がいる。日本にも家系図を代理で作製する業者はいるが、大半は戸籍と除籍を取り寄せるだけで大して知識はいらない。それに比べると、欧米の家系調査士は古い記録、文献について広く、深い知識を持った本当のプロ、スペシャリストが多い。

その理由は渡辺さんのご先祖といわれる英雄渡辺綱(953-1025年)が鬼退治をしたからである。渡辺綱といえば、源頼光四天王の一人で、仲間の坂田金時(金太郎さん)、碓井貞光、卜部季武とともに大江山(京都府西京区)で酒呑童子という鬼の化物を退治したことで知られるが、実は単独でも鬼と戦っているのだ。

明治から戦前にかけて商売をしていた人、会社を経営していた人を調べる時には、『日本全国商工人名録』も役立つ。これは明治25年(1892)に設立された合資会社商工社(現在の東京商工リサーチ)が発行していた日本最古の企業年鑑といわれるもので、全国の会社・商店がきめ細かく収録されている。よほど規模の小さい商店や会社でなければ、まずは掲載されている。

いよいよ今年も残り少なくなりました。インフルエンザが流行していますが、みなさんお気をつけて。良い新年をお迎えください。

次回の道新家系図講座は来年の1月15日です。1月は1回しかありません。今年最後の豊水家系図講座は12月22日です。この日はPM2:00開講で、PM5:30からは忘年会です。

渋沢栄一は我が国の資本主義を発展させるためには、会社の信用度を株主が客観的に知ることができる信用会社の設立が急務と考えていた。そこで明治29年(1896)には自らが初代会長となって東京興信所を創立し、大蔵省官吏を退官して新聞社社長をしていた佐藤正美を初代所長に迎える。この設立には日本銀行を始めとする東京周辺の銀行が深く関わっていた。会社に資金を融資する銀行にとっても、会社の資産や営業状況を調査する信用会社は絶対に必要な存在だったのである。

ファミリーヒストリーを調べるうえで、ご先祖の経営していた会社や勤務していた会社が分かれば、大きな手掛かりになる。大企業で現在でも存続していれば、古い人事記録を持っているかも知れない。会社を経営していたのであれば調べる方法はいろいろとある。

戦前を代表する紳士録のひとつに『人事興信録』がある。これは私立探偵の先駆であった内尾直二が明治35年(1902)、渋沢栄一の援助を受けて東京に設立した人事興信所が翌年から刊行を始めたもので、全国的な紳士録としては明治22年(1889)に発刊された『日本紳士録』に次いで古い。その後は2年から3年ごとに新しく編さんされ、平成7年(1995)まで続いた。

岩内町の郷土館に行くと、面白いことに文豪夏目漱石の戸籍簿が展示されてある。東京生まれの漱石は、明治25年(1892)4月5日、分家して後志国岩内郡吹上町17番地 浅岡仁三郎方に本籍地を移動している。

日本を代表する紳士録といえば『日本紳士録』だろう。明治22年(1889)から平成19年(2007)まで、実に80版が出版された。戦前までは一定以上の所得税や営業税を支払っている人が掲載され、戦後は掲載されることが社会的なステータスとされたが、一方で紳士録商法と言われる詐欺の温床とも言われた。

明治に作製された戸籍を見ると、嫡男(一般的には長男)が廃嫡されていることがある。廃嫡とは嫡子、嫡孫(嫡子の嫡子)などの法定の推定家督相続人としての権利をはく奪するものである。戦前の法律では家督相続と同時に前戸主の財産(動産・不動産)はすべて新戸主に譲られるため、たとえ長男であっても廃嫡を宣言されると、親からの財産を何一つ受け継ぐことはできなくなった。