系図業界の将来予測

 世界の系図業界は2030年に向けて年率10〜12%前後で拡大すると予測されている。主要調査会社の予測を並べると、2030年の世界市場規模は約80〜88億ドル(約1.2兆〜1.3兆円)に達する。

 ここでいう系図業界とは、戸籍・国勢調査・移民記録などの歴史資料のオンライン検索、家系図作成ツール、祖先解析を目的とした消費者向けDNA検査、そして専門家による家系調査代行を合わせた市場を指す。

 系図業界の成長を支える原動力は3つある。第一はAIによる古文書の自動読み取りである。第二はDNAデータベースの巨大化、そして第三は「自分のルーツを知りたい」という根強い需要だ。

 今後の成長を内訳でみると、DNA検査が最大の伸びしろを持つ。TBRC(The Business Research Company:イギリスのグローバルな市場調査・コンサルティング会社)は2030年にDNA検査が系図市場全体の42%(約30億ドル)を占め、2025〜30年の5年間で13億ドル増えると見込んでいる。これに家族記録(約10億ドル増)、家系図(約4億ドル増)が続く。地域別では北米市場が2025年の20億ドルから2030年には31億ドルへ拡大し、今後も世界最大の市場であり続ける。一方、Kings Research(アメリカの市場調査会社)は日本などアジア太平洋の成長率を年13%と最も高く見積もっている。系図業界にとって日本を含むアジア圏は極めて有望な市場なのである。


 系図業界を会社別にみると、Ancestry(アメリカ)とMyHeritage(イスラエル)の二強が、記録の量とAI機能で差を広げる構図になっている。このうちAncestryは登録された歴史記録が710億件を突破した。サブスク収入は5四半期連続で増収を続けており、今後10〜15年間で4.5億ドルを記録のデジタル化とAIに投資するという。これにより国勢調査のような膨大な量の手書き記録の索引作成の期間を、現在の約9カ月から9日未満に短縮する計画である。一方、MyHeritageの歴史記録は約390億件、利用者は数千万人といわれている。2026年1月からは50言語に対応し、3月には古文書をAIで読み解く「Scribe AI」、11月にはAIエージェント「GAIA」を発表した。「GAIA」はエージェント型AIを搭載した家系図専用のAIである。MyHeritageは次のように説明している。「GAIAに、あなたが探しているものを自分の言葉で伝えるだけで、MyHeritageの歴史的記録やウェブ上の公開データベースを検索し、あなたの家系図の情報も活用し、証拠を評価し、結果を提示し、有望な次のステップを提案します。あなたは調査を主導し、結果を確認し、選択した詳細情報をわずか数クリックで家系図に簡単に追加できます。」

 Ancestryのハワード・ホホハウザー(Howard Hochhauser ) CEOは、「SNS的な機能拡張に寄り道した結果、収益が横ばいになり顧客満足度も下がったが、記録の増加と家族史の物語化という本業に回帰したことで増収につながった」と語っている。家系図会社の勝ち残りはひとえに「コンテンツの量」によって勝敗が決するのだ。それを教訓にして、今後も家系図会社は先祖情報の収集に熱心に取り組んでいくだろう。


 TBRCは、系図業界の今後年約10%の成長率のうち約7.8ポイントを3つの要因に割り当てている。DNA検査の需要拡大が年3.0ポイント、記録のデジタル化とオンライン基盤の拡大が2.5ポイント、ルーツ探しへの関心の高まりが2.3ポイントである。さらに成長の要因を大きく四つに分けることもできる。

 第一の要因は、AIによる古文書の読み取りである。Ancestryは独自の手書き文字認識AIで、記録の索引作成にかかるコストと時間を大幅に削り、コンテンツの増加ペースを前年比3倍以上に高めた。MyHeritageのScribe AIも、手書き文書や墓石に刻まれた文字、紋章の図形を読み取り、利用者の言語に翻訳することができる。

 第二に、商品の軸が「調べる道具」から「物語」へ移りつつある。Ancestryが2025年12月に始めた「AI Stories」は、国勢調査などの記録を物語や音声に変換するサービスである。現在まで50万人超が利用し、音声ストーリーは約100万回再生された。従来のただデータを見せるだけでなく、それを加工して家族の物語として届ける商品が増えている。これが世界の系図業界のトレンドである。

 第三に、DNA検査の高度化と低価格化が進んでいる。欧米における検査の需要はほぼ飽和状態に達し、新規の顧客の獲得は難しくなっている。それをうけて祖先解析キットの価格は59ドル前後まで下がった。そのためMyHeritageは2025年10月、大手として初めて消費者向け検査を全ゲノム解析に切り替えている。従来の祖先解析と全ゲノム解析 による健康情報を組み合わせた商品は、新たな顧客を開拓することができ、同時に客単価を押し上げる効果もある。

 第四に、多言語化が新しい市場を開いている。AncestryはAI翻訳を使い、イタリアでのサービス開始をわずか1カ月で実現した。MyHeritageは50言語に対応する体制を整え、これまでの中心だった英語圏の外、なかでもアジア太平洋が次の有望な成長市場とみられている。そのなかには日本も含まれている。

 ただし現状のAIには限界もある。英語以外の古い書体では誤読率が課題とされているのだ。日本のくずし字の解読率も高いとはいえない。そのためAncestry自身も、AIの誤りを防ぐため、人による確認作業を工程に残したままである。今後AIの性能がより高くなり、誤読率の問題が解決されれば、コンテンツの追加作業は大幅に時間短縮され、飛躍的に点数を増やすようになるだろう。


 一方、系図業界が抱えている最大のリスクは、収集した遺伝情報の扱いへの不信である。大規模な情報漏洩が起これば、一気に顧客離れを招くだろう。23andMe(アメリカ)では2023年に約700万人分のデータが流出し、2025年3月の破産申請後には顧客の約15%にあたる約190万人がデータ削除を求めた。その後、23andMe は非営利団体の傘下に移った。

 次に、DNA検査は一度受ければ終わる商品だという構造的な弱点があることだ。23andMeは2021年に上場したものの、リピート顧客の少なさから黒字化に苦しんだ。検査を入口に、継続課金の記録サービスや健康サービスへつなげられるかどうかが収益を左右することになる。

 規制コストの上昇も避けられない。SkyQuest(インド・アメリカの市場調査会社)は、プライバシー懸念によって今後、潜在利用者が離れ、事業者のセキュリティ投資と規制対応コストが増えると指摘している。米国の遺伝情報差別禁止法(GINA)や欧州のGDPR(一般データ保護規則 )への対応は、系図会社にとって事業の前提条件となっている。ただし、セキュリティ投資は系図業界に限ったことではなく、世界規模でコスト増が予測されている問題だ。

 今後は系図業界においても、利用者のデータ削除の権利や研究利用のオプトアウトを明確に保証できる企業こそが、信頼を競争力に変えられるようになるだろう。


 日本の系図需要は、今後どのようになるかというと、現状では戸籍を軸に伸びていくだろう。Global Industry Analysts(アメリカの市場調査会社)は日本の遺伝子系図市場の成長率を年3.6%と、中国の年11.6%や世界平均の年7.3%より大幅に低く見ているが、その一方で、戸籍をたどる家系図作成の依頼は増え続けている。とくにコロナ禍の引きこもりによる一時的な需要増以降、依頼が倍増したと語る会社もある。制度面では、2024年3月1日から開始された広域交付が追い風になっている。NHKの『ファミリーヒストリー』も相変わらず高視聴率を保っている。

 日本にはAncestry(アメリカ)やMyHeritage(イスラエル)のような家系図会社が存在しない。現在活動しているのは個人の家系を依頼されてリサーチする家系図作成会社だけである。家系図の作成には大変な手間がかかり、AI化にも限界があるため、どうしても量産化は難しく、売上も伸び悩む。一方、Ancestry(アメリカ)やMyHeritage(イスラエル)のようなサブスクで収益を上げる会社は、初期投資に時間と費用がかかるものの軌道に乗れば安定した高収益が見込まれる。

 将来的に日本版のAncestryやMyHeritageが登場すれば、欧米と比較しても年商100億以上の企業に成長する可能性は十分にあり得るだろう。そのような企業が日本に現れることを期待したい。