奴隷の先祖と向き合う 黒人大学生のルーツ発表

「自分の先祖について調べて、クラスで発表してください」
大学の多文化教育の授業で出されたこの課題は、19歳のアフリカ系アメリカ人女子学生アリシアにとって、決して簡単なものではなかった。クラスの大半は白人学生であり、自分の家族史を人前で語ることに、彼女は戸惑いを感じていた。何より、黒人の家系を何世代もさかのぼれば、奴隷制度という痛ましい歴史に行き着く可能性がある。先祖の苦しみを、他の学生の学習材料として語ることになるのではないかという不安もあった。
しかしアリシアは動き出す。家族の年長者に電話をかけ、少しずつ調査を始めた。従兄のベンから教えられた情報によって、4代前の高祖母マリー・ルイーズがアフリカからアメリカへ強制的に連れてこられ、奴隷にされたことが分かった。最初に教えられたのは名前と場所だけだったが、アリシアはベンに「彼女はどのように生きていたのか」と尋ねた。するとベンは、一瞬ちゅうちょしたあと、先祖の奴隷だった女性たちの多くが性的搾取を受けていた事実を話しだした。
授業でこの話を発表したとき、教室は静まり返った。教師は「コンキュバイン (concubine.妾)」という言葉が、この場合には自由な同意のない性的関係を意味することを説明し、「強制」「性的暴力」という現実を学生たちに理解させた。アリシア自身も、この事実を知ったとき「麻痺したようだった」と振り返っている。
さらに調査を進めると、彼女の家族の歴史は単純な「被害者対加害者」という構図では説明できないことも分かってきた。先祖の中には、アフリカ系の血を持ちながら白人として生き、奴隷所有者となったルイ・フォンテノットがいたのだ。一方、別の女性マルセリーテは、理由はわからなかったが白人として生きることができたにもかかわらず、その道を選ばなかった。アリシアは、先祖たちが人種制度の中でどのような選択を迫られたのかを考え始めるようになった。彼女にとって家族史は、先祖を善人と悪人に分ける物語ではなく、差別と権力の社会で人間がどのように生きたのかを考える歴史になっていった。
そして調査の終盤、最も大きな衝撃が待っていた。
3代前の曾祖母にあたるハイアシンスは、奴隷として生まれながら後に自由になった女性であった。彼女が白人によるリンチによって殺害されたことを、家族の記憶と記録をつなぎ合わせて突き止めたのである。幼い息子・アウレリアン2世がむごたらしい母親の遺体を発見したという家族の記憶も残っていた。アリシアはその事実を知り、「歴史は過去のものではない」と感じるようになった。ハイアシンスは教科書に登場するような歴史上の人物ではないが、彼女にとっては自分の愛しい家族であり、血のつながった人だったからである。
この授業を立案した研究者は、この経験こそが「批判的家族史(Critical Family History)」の核心だと説明した。通常の家系図は、先祖の出生、結婚、死亡、居住地などを追跡し、血縁関係を確定することを目的とする。しかし批判的家族史は、「なぜこの記録が残っているのか」「なぜこの人の記録は失われたのか」「先祖はどのような社会制度の中で生きていたのか」と問いを広げてゆく点が異なっている。
調査を開始する前、アリシアにとって奴隷制度、人種隔離、性的搾取、リンチといった歴史は、年号や統計で知る教科書的な出来事だった。どこか遠い歴史だったのである。しかし、実際にリンチによってむごたらしく殺された先祖のハイアシンスの存在を知ったとき、彼女の歴史認識が身体感覚をともなった「生きた歴史」に変化した。
しかし、この事例をもって短絡的に「差別や虐待を受けた人物の子孫の学生にも、積極的に家系図を調べさせて発表させるとよい」ということにはならない。アリシア自身、これほど個人的で苦しい事実を教室で語ることにとまどいを感じ、深く葛藤したと述べている。大切なのは、先祖を調べるかどうか、どこまで調べるか、何を人前で語り皆と共有するのかを、学生自身が選択できる環境を整えることである。
また、アリシアの物語が教えるのは、「先祖を知れば必ず誇りが生まれる」ということでもなかった。アリシアは当初想定していた通り、虐げられた奴隷の人生に触れた。しかし、同時に奴隷を所有し、虐げたほうの先祖とも出会ったのである。これはまったく予想外のことだった。先祖は被害者であり、同時に加害者でもあったという事実。そのことに最初はひどくとまどったが、彼らの人生を見つめ直したとき、自分が作った家系図は単なる血縁関係の一覧ではなく、社会の権力、差別、記憶、忘却を考えさせるきっかけになっていることに気づいた。
アリシアの家系図に記された先祖の多くは、歴史によって名前や人生を奪われながらも、確かに生きて次の世代へ命をつないだ人々であった。彼らの物語を語ることは、過去を美化することではなく、「この人は確かに生きていた」と、歴史の中にもう一度彼らの存在を位置づける行為なのだと、彼女は痛感したのである。
