地方自治体にルーツツーリズム相談室を設置する案について

海外には約500万人の日系人が暮らしているという。その中には、日本から移住した先祖の出身地を知りたい、先祖がどのような人生を歩んだのかを知りたい、そしていつか先祖の故郷を訪れてみたいと考える人が数多くいる。こうした人々を日本各地へ呼び込み、祖先の故郷を訪ねる「ルーツツーリズム」を促進するため、全国の地方自治体に「ルーツツーリズム相談室」を設置することを提案したい。
海外の日系人がルーツを調査する際、大きな障壁となるのが、言葉の壁と日本の戸籍制度の複雑さである。調査はまず移民一世の本籍地を確認し、先祖の戸籍を取得することから始まる。しかし、日本の自治体に英語、ポルトガル語、スペイン語などに十分対応できる職員が必ずしもいるわけではなく、本国でどのような書類を準備すればよいのかを知ることも容易ではないのだ。
そこで相談室では、来日前からメールやオンラインを通じて情報提供をお願いしたい。広域交付を利用するために必要な先祖の氏名の調べ方、本籍地などの情報、子孫であることを証明するためにどのような書類が必要なのかを、母国語で案内してほしいのだ。説明動画を作成し、YouTubeなどで公開することも有効であろう。
しかし、この相談室の最大の価値は、取得した戸籍を読み解き、内容を理解し、さらに国立国会図書館デジタルコレクション(デジコレ)などを利用して先祖の情報を多面的に広げることにある。
日系人が自力で祖先の本籍地から郵送で戸籍を取り寄せても、古い戸籍に記された文字を読むことは極めて難しい。女性の名前に使われている変体かなも判読が困難である。また、「戸主」「家督相続」「隠居」「廃嫡」「分家」「絶家再興」「入夫」「廃家」など、日本人にも理解が難しい戸籍用語を理解することも難しい。戸籍の塗抹された事項の意味を理解することも容易ではない。そのため、日本から取り寄せた戸籍を前にして、途方に暮れている日系人も少なくないのだ。
そのような日系人にぜひとも相談室を利用してもらいたいのだ。広域交付は対面での申請が原則である。そのため日系人は相談室が設けられている自治体を必ず訪問しなければならない。日系人にしてみれば、相談室のある自治体は先祖の地ではないことが多いだろう。しかし、先祖のことがよくわからない状態で先祖の地を訪問するよりも、まずは相談室のある自治体で広域交付を利用し、先祖情報を詳しく知ることの方がメリットがあると考えるはずである。
来日後に戸籍が揃うまで数日を要する場合には、その「待ち時間」を相談室のある自治体の地域観光に活用することができる。相談室が地域の観光施設、文化施設、飲食店、商店、宿泊施設などを紹介し、日系人に地域の歴史や文化を体験してもらうのである。 日系人が戸籍を待つ間に地域を観光すれば、宿泊、飲食、買い物、交通、入場料などの消費が生まれ、そのお金が地域の収入となる。さらに、祖先の故郷への関心を持って来日した人は、一般的な観光客よりも日本文化や歴史に対する関心が深いことから、その地が先祖の地ではなかったとしても、自らのルーツ探求を助けてくれた友好的な場所として、将来的に家族を連れて再訪したり、地域との交流を続けたりする可能性もある。
戸籍が揃うまでの間には、観光のほかに母国語による「日本人のルーツの調べ方」「日本の歴史」「昔の日本人の暮らし」「地域の文化や伝統」などのセミナーを開催するとよいだろう。観光と学習を組み合わせることで、滞在時間そのものをルーツ探索の一部にするのである。
相談室では戸籍を解読し、現代の言葉でわかりやすく説明する。誰が誰の親で、どこで暮らし、どのような移動をしたのかを整理し、家族関係を明らかにする。そして、戸籍から得られた氏名、年代、住所などを手がかりとしてデジコレを検索し、新聞、雑誌、郷土資料、地誌、人名録などから追加情報を探す。
戸籍だけでは、先祖がどのような仕事をしていたのか、地域社会でどのような活動をしていたのか、どのような時代背景の中で暮らしていたのかまでは十分にわからない。しかし、歴史資料を組み合わせることで、先祖は単なる戸籍上の「名前」ではなく、その時代を生きた一人の人物として立体的に浮かび上がってくる。
戸籍の解読と追加調査が終わった後は、その情報をもとに具体的なルーツツーリズムを計画する。先祖が暮らしていた住所、詣でていたと思われる神社、通っていたと思われる小学校、葬られているかも知れない寺院などを推測し、どこへ行き、何を見て、何を訊ねればよいのかを相談室がアドバイスする。日系人はそのままルーツの地へ向かってもよいし、一度帰国してから準備を整え、改めて訪問してもよいだろう。
相談室は本来、祖先の本籍地にある自治体に設置されるのが理想であるが、広域交付を活用すれば、全国どこの自治体でも開設できる。各自治体が自地域の歴史、文化、伝統、方言、食、祭りなどを生かした独自のセミナーや観光プログラムを展開すれば、それぞれが特色ある「ルーツの入口」となり得るであろう。
さらに全国の相談室同士が連携すれば、一人の先祖が複数の地域を移動していた場合にも、地域をまたいで相談を引き継ぐことができる。将来的には海外の日系人だけでなく、国内で自分の先祖を調べたい人にも利用されるようになることが望ましい。その際には新たな懸念も生じるかもしれないが、自治体がルーツ調査を支援することは、海外では決して珍しいことではない。イタリアのルーツツーリズム・マネージャーのような先行事例を分析しながら、日本の歴史や文化を踏まえて、できる形の協力を検討してみるとよいだろう。
「ルーツツーリズム相談室」は、単なる戸籍取得の案内所でも観光案内所でもない。広域交付によって戸籍を取得し、読み解き、歴史資料によって先祖の人物像を明らかにし、その成果を実際の地域訪問へつなげる拠点である。そして、戸籍を待つ時間さえも地域観光に変えることによって、宿泊や飲食、買い物などの消費を生み出し、地域経済の活性化にも貢献できる。広域交付の利用が前提であるから、過疎化が進んだ自治体であっても開設には、何ら問題はない。
日系人にとっては、自力では理解できなかった難解な戸籍を読み解き、外国では利用できないデジコレなどによって先祖の情報を深く知る機会となる。自治体にとっては、海外からの訪問者を呼び込み、地域の歴史や文化を世界へ発信し、新たな関係人口を生み出す機会となる。
全国の自治体がルーツツーリズム相談室を設置することは、日本と世界の日系人を結びつける新たな国際交流政策である。世界の架け橋となる自治体の登場を心待ちにしたい。また、このような発想は地域観光と地域経済を活性化する新しい地方創生策となるのではないか。
