渡辺さんと豆まきの話

2019年02月02日

 渡辺さんは豆まきをしないという話がある。

 その理由は渡辺さんのご先祖といわれる英雄渡辺綱(953-1025年)が鬼退治をしたからである。渡辺綱といえば、源頼光四天王の一人で、仲間の坂田金時(金太郎さん)、碓井貞光、卜部季武とともに大江山(京都府西京区)で酒呑童子という鬼の化物を退治したことで知られるが、実は単独でも鬼と戦っているのだ。

 それが京の一条戻橋(京都市上京区堀川)での事件である。

 ある夜、綱が馬で戻橋を通ると、橋のたもとに美しい女性がいた。女は「夜も更けて恐ろしいので家まで送ってほしい」と綱に頼んだ。綱は女の様子が怪しいとは思ったが、見捨てて立ち去るわけにもいかず、馬に乗せて送り届けてやることにしたが、しばらく進むと女は正体を現した。茨木童子という鬼だったのである。この鬼は綱の髪の毛をむんずとつかむと、宙に浮かび上がり、愛宕山に向かって連れ去ろうとした。しかし豪胆な綱は落ち着いて源氏重代の名刀「髭切」を抜くと、鬼の腕をバッサリと斬り落として難を逃れた。綱がその腕を主君の源頼光に見せると、心配した頼光は陰陽師に相談した。すると陰陽師(安倍晴明ともいう)は「鬼は必ず腕を取り返しに来るから、七日の間は家に閉じこもって物忌みをし、その間は何人も家の中に入れてはいけない 」と忠告した。

 綱は言われた通り、摂津国渡辺(大阪市中央区石町)の屋敷にこもり、誰も家には入れないようにしていたが、七日目の晩に伯母の真柴がやって来ると、どうしても屋敷に入れてくれという。綱は事情を話して今宵は帰ってほしいと頼んだが、真柴はそんな綱の態度を冷たいとなじる。困り果てた綱は真柴を屋敷に入れた。

 すると真柴はその鬼の腕を見せてほしいとせがむ。綱はこれも断れず、陰陽師からもらった護符で封印していた唐櫃(からびつ)を開き、片腕を取り出すと、真柴に渡した。すると突然、真柴が茨木童子に姿を変えると腕を持ったまま空のかなたに飛び去って行ったのである。

 この話は『平家物語』に記されているものだが、後に創作された能の『羅生門』では、舞台が平安京の羅城門(羅生門)に変更されている。そのため、現在では羅生門の鬼退治として記憶している人もいる。また『大江山絵巻』や『御伽草紙』で有名になった頼光四天王としての大江山の酒呑童子退治だけを知っているという人も多い。茨木童子は大江山の残党ともいう。綱と鬼の死闘は舞台を移しながら、実は続いていたのである。

 いずれにしても渡辺綱は茨木童子にせっかく斬り落とした腕を奪い返されたことを悔しがり、機会があれば、再び鬼を屋敷に誘い込み、討ち果たすことを願った。その願いは、綱の子孫だけではなく、渡辺姓の人々に受け継がれたのである。渡辺さんのなかには豆まきで「鬼は外」とは言わず、あえて鬼を家に招き込んで、綱のリベンジを果たそうとしている家があるのだ。これは綱の子孫が神官を務める大坂市の坐摩(いかすり)神社に伝わっている言い伝えである。

 ネットでは、渡辺綱と坂田金時は鬼退治をしたので、鬼は渡辺と坂田という苗字の家を恐れて近づかない。そのため家に鬼はいないので「鬼は外」とは言わない。豆まきもしないと書かれているものもあるが、本当の豆まきをしない理由は違うようだ。鬼が家にいないから豆まきをしないのではなく、反対に家に鬼を呼び込みたいから豆まきをしないのである。

 綱はもうひとつ、名字を考えるうえで面白い点がある。それは渡辺綱には、渡辺という名字と綱という名前の間に格助詞の「の」がついている点である。

 綱は第52代嵯峨天皇(786-842)の流れをくむ嵯峨源氏の系統で、氏(うじ)は源(みなもと)である。日本の伝統では、源や平、藤原、菅原のような氏と名前の間には格助詞の「の」を付けるが、名字・苗字と名前の間には付けない。氏+名前の藤原道長は「ふじわら」の「みちなが」、源義経は「みなもと」の「よしつね」と「の」が付く。しかし、名字・苗字+名前の足利尊氏は「あしかが」「たかうじ」、織田信長は「おだ」「のぶなが」と「の」が付かない。これは足利や織田は古代の氏ではなく、名字・苗字だからである。しかし渡辺綱だけは例外的に名字+名前なのに「の」が付くのだ。反対の例としては豊臣秀吉がある。豊臣は苗字ではなく、天皇から授けられた氏である。だから本来は「とよとみ」の「ひでよし」と「の」を付けるべきだが、豊臣は苗字的に扱われたため、「の」は除かれている。たかが格助詞の「の」ではあるが、歴史的に興味深い現象である。

渡辺星
渡辺星

 話は渡辺さんに戻るが、綱にゆかりのある渡辺さんは「渡辺星」という家紋をよく使っている。三つ星と一文字からなる家紋である。この三つ星は夜天に輝くオリオン座の中央部にある直列三星をあらわしたものだが、洋の東西を問わず軍神星とされている星である。また下の一文字は戦場で一番手柄をあげることを願って描かれたものといわれている。さすがは綱の無念を晴らそうと、我が家にあえて鬼を誘き入れようとしている渡辺さんである。

 この家紋を見ると、綱が亡くなってから1000年近くたった現在でも、渡辺さんは常に戦闘モードで鬼と戦っているように思われてならない。どうも渡辺さんとは決して喧嘩はしないほうがよさそうである。