幻の赤鳥紋

2019年05月17日


 日本に家紋は2万種類以上あると言われているが、その中には長い間、図形が分からなかったものもあった。

 その代表例は赤鳥紋である。

 赤鳥は駿河国(静岡県)の守護大名今川氏の愛用紋で、建武4(1337)年に富士浅間神社のお告げで戦の時に笠験(かさじるし)として用い始められたことが知られているが、その形が伝わらなかった。

 歴史家はいろいろと想像し、女性が馬に乗る時の鞍覆(くらおおい)いではないかという説もあった。ところが寛政年間(1789-1800)に旗本の高木元之丞が同僚に赤鳥紋の馬験(うまじるし)を贈ったことから、その形が世に知られることとなった。

 赤鳥とは「垢取(あかと)り」のことで、女性の化粧道具のひとつである櫛の垢取りのことだったのである。櫛のため五本から九本の歯があり、取っ手には紐(ひも)を通す穴があ開いている。今川赤鳥と呼ばれている家紋は六本歯である。

 使用している家は臼井氏、西尾氏、東条氏など今川氏ゆかりの家が多い。

 信濃国松代藩(長野県長野市松代町)の藩士で、明治に銀行家となった岩下清周の家がこの赤鳥紋を使っている。歯は五本。やはり取っ手には穴が開いている。

 ところが、よく似た家紋に馬櫛紋がある。『寛政重修諸家譜』では清和源氏義光流の飯室氏が使用している。もしかすると、岩下家の家紋は人の櫛ではなく、馬の櫛かも知れない。