北里柴三郎のルーツ

2019年04月17日


 北里柴三郎は明治18(1885)年、ドイツのベルリン大学に留学し、破傷風菌抗毒素を発見し、次いで血清療法を開発して医学界に大きな貢献をした。帰国後は伝染病研究所、北里研究所(北里大学の前身)を創立し、コレラ・チフス・赤痢の研究で成果をあげた。その功により大正13(1924)年には男爵が授けられている。

 柴三郎の家は熊本藩惣庄屋の分家で、現在の小国町北里(きたざと)出身である。地名は古くは「きたのさと」と呼ばれ、語源は北方の村落という意味だろうか。家伝では第56代清和天皇(850~81)の流れをくむ清和源氏の子孫で、古くは綿貫姓を名乗っていたが、妙義のとき北里次郎左衛門と改めたという。これが伝えられている北里家の初代である。

 その後、北里家は阿蘇神社の大宮司阿蘇氏の家臣となり、戦国時代になると豊後国(大分県)の大友氏の配下となった。さらに加藤清正の家臣をへて細川氏に仕えた。系統には熊本藩士として続いた家、惣庄屋となった家があり、柴三郎の家は惣庄屋の家の分家筋にあたる。その系図は熊本藩士の八木田政名がまとめた『新撰事蹟通孝』(国立国会図書館デジタルコレクション)に収録されている。

 家紋は大変に珍しい左三つ巴に檜扇を使っているが、これは熊本藩初代藩主細川忠利から下賜されたものだと伝えられている。また武田鉄矢 さんの母方は北里家と親戚という噂もあるが真偽は不明である。