海外では系図学を学校教育に導入している

「自分とは何者なのか」「自分のルーツはどこにあるのか」「なぜ今ここにいるのか」といった問いは、ただの思いつきや好奇心から出てくるものではない。これらは、自分という存在を社会や歴史の中でどう位置づけるかを考える、本質的な問いである。
この問いに向き合う方法の一つとして、今、世界的に注目されているのが「系図学(Genealogy)」という学問分野である。系図学とは、単に家族の関係を図で示す家系図を作ることだけではなく、先祖がどのような時代に、どのような社会や文化の中で、どのような人生を歩んできたのかを深く掘り下げて調べる、探求的な学びである。現代社会はグローバル化や個人主義が進む一方、地域や共同体、そして過去の世代とのつながりが弱くなっている。だからこそ、自分がどこから来たのか、どのような歴史の上に今の自分が立っているのかを知ることは、自分自身を深く理解すること(自己理解)や、自分とは異なる背景を持つ他の人を理解する(他者理解)うえで、大変に役立つはずだ。
実際、欧米ではすでにこの学びが教育の現場に取り入れられている。
アメリカでは、「ファミリー・ヒストリー・プロジェクト」という活動が中学校や高校で行われている。生徒たちは、まず自分の家族の歴史を、親や祖父母へのインタビュー、古い写真や記録を調べることから始める 。そして、そこで知った家族の物語を、アメリカという国の歴史、移民の歴史、奴隷制度、世界恐慌、戦争といった出来事と関連づけて考えていくのである 。カリフォルニア州のある中学校で行われたプロジェクトでは、生徒たちが自分の先祖の出身地や、なぜその先祖たちがアメリカに移住してきたのかを詳しく調べた。その作業を通じて、自分たちの先祖一人ひとりの物語が、アメリカという多民族国家が築かれてきた歴史の一部であることを実感したという 。ユタ州のブリガムヤング大学には、世界有数の家族歴史センターがあり、学生や市民に対して、先祖の調べ方やデジタル技術を使った検索方法を教えている。さらにアメリカでは、DNA検査と歴史記録を組み合わせて遺伝的なつながりを調べるプロジェクトも行われており、生徒たちは最新のテクノロジーを使ってはるか遠くグレートジャーニーからの祖先の歩みをたどることができる。
カナダでも移民の多い国らしく、子供たちに自分のルーツを調べさせる活動が盛んである。トロントの小学校では、毎年「ヘリテージ・フェア(Heritage Fair)」というイベントが開催され、生徒たちは自分の家族の出身国の文化や歴史について調べたことを、展示や発表を通じて紹介しあう 。このような活動を通して、生徒たちは自分自身の文化的な背景に誇りを持つようになる。同時に、クラスメートの多様な文化に触れることで、異文化理解を深め、多様な人々が共に生きる社会を尊重する意識をも育まれる。たとえば、インド系の家庭に生まれたある女子生徒は、ヘリテージ・フェアのために、祖母から伝統料理の作り方や母国語の簡単なフレーズを教えてもらって発表した。この経験を通じて、彼女は自分の家族の文化をより深く理解し、大切にしたいという気持ちが強くなったという 。
ヨーロッパでも同様の取り組みが行われている。ノルウェーでは、小学校の社会科の授業で、生徒たちが地元の古い教会を訪れ、洗礼記録などの資料を調べる活動が行われている 。自分の家が何世代にもわたってその土地に住み続けてきたことを知ることで、生徒たちは自分が暮らす地域との歴史的なつながりを改めて実感し、地域社会の一員であるという意識を深めるという。フランスでは、中学校で「家族の記憶(mémoire familiale)」をテーマにした授業が行われている。生徒たちは家族から聞き取った話や、家に残る古い写真、手紙といった資料をもとにエッセイを書く 。これによって生徒たちは個人的な家族の記憶が、どのように国の歴史や社会の変化と結びついているのかを考えるのである 。スウェーデンでは、先祖が住んでいた土地の教会にある墓地を訪ね、墓石の名前と家の記録などを照らし合わせることで、家族の歴史をたどる活動も行われている 。
これらの国に共通するのは、「家族の歴史は、決して個人的なものにとどまらず、より大きな社会や地域の歴史の一部である」という考え方である 。自分のルーツを知るという行為は、その始まりはたしかに個人的な家系の探求ではあるが、調べを進めていくうちに自分が属する社会や地域の歴史、文化を改めて見つめ直し、理解を深めるきっかけとなるのである 。

それに対し日本では、「系図学」という学問はほとんど知られておらず、家族についての知識を学校の授業に活かそうという考え方もあまり広まっていない。
その理由の一つは、日本では過去に「家柄」や「血筋」といった考え方が、身分制度や差別と深く結びついていた歴史があるからである。戦後の改革によって「家」制度はなくなり、個人の自由と平等が尊重される社会に変わった。しかしその歴史的な経緯から、「自分の家系について話すこと」や「家系を調べること」に対して、どこかためらいや否定的な感情を持つ人が少なくなく、「家系を調べて一体何になるのだろうか」という雰囲気が今も残っている 。
しかし、欧米で行われている今の系図学に、そのような視点はない。今の系図学は、過去の身分制度や差別を再び作り出すものでは決してなく、 むしろ、過去の歴史の中に存在した身分や差別の問題を、歴史の一部としてしっかりと学びながら、自分自身を深く見つめ直し、多様な生き方や文化が存在する社会を理解するための学びになっている。
たとえば先祖調査と黒人差別の問題からは批判的家族史という考え方が生まれた。これは先祖探究者に、先祖の他にどのような人々(他の集団)が周囲にいたのか、先祖の集団と他の集団間の力関係はどうだったのか、これらの関係は時間の経過とともにどのように維持され、あるいは変化したのか、そしてそれは私たちの現在の生活とどのような関係があるのか? と問う。そしてそのことについて考ええることの重要性を説く。クリスティン・リーター氏は『人種差別、相続、そして家族の財政援助 』のなかで、白人による先住民の土地の奪取、アフリカ人の奴隷化、そしてそのような人種的関係から派生した当時の法律は、私たちの先祖を取り巻く物質的状況にどのような影響を与えたのだろうか、と考察した。
系図学にはこのような視線が極めて重要である。先祖探求を全ての人にとって有益なものとするためには、アフリカ系アメリカ人やユダヤ人などのように歴史のなかで虐げられてきた人々、差別されてきた人々に対する徹底した配慮が必要である。また、学校教育の現場で先祖について触れる際には、現代社会には多様な家系環境の生徒がいることにも十分な配慮が必要である。特別養子制度や里親制度、家庭崩壊などさまざまな背景をもつ子供たちがいる。生物学的な親のルーツをたどれない子もいれば、たどることに苦痛を感じる子も必ずいる。先祖について触れることによって下記のような学びを得ることはできるが、それによって一人でも悲しい思いをする子供を出してはならない。
そのためには先祖という存在を血縁的なものに限定しないことである。養親や里親など、子供を守り、育てる保護者はすべて先祖的存在である。また、課題に自らの家系図の作成や親族からの聞き取りなどを出してはならない。大事なことは自分と歴史とのつながりを教科書的なものではなく、自分事として実感してもらうことであるから、先祖探求の体験は教師の先祖をサンプルにしてよいし、郷土の偉人のルーツを探求しても良いのである。このような配慮が十分になされれば、日本でも、欧米のように総合学習や社会の授業で系図学を取り入れることは可能であろう。
生徒たちが自分の先祖(すべての保護者的存在を含む)にはいろいろな背景をもった人たちがいたことを知り、その人やその人の先祖たちがそれぞれの時代や社会の中でどんな人生を歩んできたのかを学ぶことで、他の人に対する思いやりが育ち、いろいろな考え方を受け入れる力もつく。さらに、先祖調査を通じて得られる「調べる力」「考える力」「まとめる力」「伝える力」などのスキルは、ほかの教科や将来の仕事にも役立つであろう。
あらためて整理すると、系図学を教育に取り入れることで、次のような効果が期待できる。
アイデンティティ(自分らしさ)の確立:自分をとりまくさまざまなルーツを知ることで、自分をもっとよく理解でき、伝統文化に対する誇りも生まれる。
-
歴史への理解が深まる:歴史を自分と関係のあることとして考えるようになり、もっとよく理解できる。他人事の歴史が自分事へと変わる。
-
調べる力、分析するが身につく:情報を集め、読み取り、批判し、分析し、まとめる力が身につく。
-
多様性への理解が育つ:いろいろな先祖の生き方を知ることで、社会のいろいろな人たちへの理解や思いやりが育つ。
-
地域とのつながりができる:地元の資料館や図書館で調べることで、地域の歴史にも関心が持てるようになる。
このような学びは、小中学校の社会や国語の授業で活かすことができるし、プロジェクトとして行うこともできるだろう。
今、私たちに本当に必要なのは、知識を覚えるだけの学びではなく、このような「自分と他人、そして社会をつなぐ学び」なのではないだろうか。
