焼却されずに残された兵事記録について
戦時中に約1万6,760ほどあった市町村には兵事係が置かれ、赤紙(臨時召集令状)を配っていました。
昭和20(1945)年8月15日、終戦になると、警察署からの命令で市町村にあった兵事記録は速やかに焼却し、その目録を作成して陸海軍に提出するように伝えられました。ほとんどの市町村の兵事係はこの命令に従って大量の書類を数日かけて燃やしましたが、「こんな貴重な記録は焼けない」と反発し、密かに自宅などへ運び込んだ者もいたのです。そうして奇跡的に残された兵事記録としては、富山県庄下村(現砺波市)のものが有名です。その数は8,000点に及び、明治10(1877)年の西南戦争から大東亜戦争まで、村から出征したすべての兵士の詳細な記録が失われずに守られました。
そこに書かれている情報は戸籍よりもはるかに詳しく、身上調査書(陸軍)、身上調書(海軍)には本籍地、本人の村での評判、学歴と修業態度、家の財産、親と本人の職業、家族の思想と犯罪歴・精神疾患、入営による家族への影響、賞罰、宗教などが事細かく記載されています。
この記録は現在、砺波郷土資料館で大切に保管されています。
滋賀県大郷村(長浜市)の兵事係も徴兵適齢者の名簿である「壮丁連名簿」、現役兵の上記のような情報を記入した「現役兵身上明細書」、村にいた予備役の軍人の情報を記した「在郷軍人名簿」など、約1,000点をやはり家に持ち帰りました。こちらは現在、浅井歴史民俗資料館に保管されています。
ほかにも新潟県和田村(上越市)、同県高士村(上越市)、栃木県中村(真岡市)、埼玉県高階村(川越市)、東京都東村山町(東村山市)、静岡県敷地村(磐田市)、愛知県河合村(岡崎市)などの兵事記録が失われずに保管されていることが分かっています。ほかの市町村にもわずかですが残っているかも知れません。
もしもご先祖がいた市町村の兵事記録が残されていた場合、そこから得られる情報は他では絶対に知り得ないほど貴重で、詳しいものばかりです。残念ながらほとんどの市町村の分は処分されてしまいましたが、このような記録がかつて作られ、全国の役場にあったことを知っていること自体が実は大変に重要なことです。なぜなら我々は存在を知っている記録しか探そうとはしないからです。