『角川日本地名大辞典』を読む


 家系図作成のため、今回は『角川日本地名大辞典』を読み解きます。

 『角川日本地名大辞典』は角川書店が1878年から90年にかけて、47都道府県と別巻2巻の全49巻で刊行した地名辞典です。歴史、地名研究の基本文献として都道府県立や大都市の市立クラスの図書館には開架で必ず並べられています。その記述は『歴史地名大系』に比べるとコンパクトですが、『歴史地名大系』には無い項目を含んでいることから、家系調査を行うさいには両書を必ずどちらも読まなければなりません。

 使用するのは『歴史地名大系』と同じく二ツ屋村の項です。タイトルから両書は異なり、『歴史地名大系』ではツが小文字でしたが、『角川日本地名大辞典』では大文字の二ツ屋となっています。この違いは『角川日本地名大辞典』は現代の表記を用い、『歴史地名大系』は歴史的な表記を用いていることに由来しています。

 前講と同じく全文は引用しません。①②③…はこちらが解説のために入れたもので、原文にはありません。全文をご覧になりたいときは、図書館でご確認ください。では①②③…の部分を解説しましょう。


ふたつや 二ツ屋 〈高松町〉

 能登半島基部西側、大海(おおみ)川下流左岸に位置する。西は日本海。①地名の由来は,昔2人の落武者が守護神を奉じて当地に居住したといわれ、はじめは「二津家」と称したという(②高松町史)。(略)
 

〔③近世〕二ツ屋村 

 江戸期~明治22年の村名。(略)④加賀藩領。寛文10年村御印の村高492石、免5ツ1歩、(略)。文化年間の家数は百姓44・頭振9、人口は百姓251・頭振39、⑤明治初年の家数71。(略)

〔⑥近代〕二ツ屋 

 明治22年~現在の大字名。はじめ南大海村、昭和29年からは高松町の大字。明治初期には当地でも7軒が製塩を行っていたが、明治34年ごろ廃止。(略)砂丘台地に恵まれていることから、⑦大規模なブドウ栽培が行われ、ブドウ生産では先進地の大字高松をしのぐまでになった。(略)大海地区では大字中沼と並んで人口が急増し、市街化が進んでいる。 


  1. 「地名の由来」を述べています。地名の由来を解説しているのは『角川日本地名大辞典』の大きな特徴です。『歴史地名大系』でもなされていることがありますが、それはごくたまにです。語源の由来については諸説があるため、『角川日本地名大辞典』の語源解説が批判されたこともありますが、参考にはなります。とくに苗字の85%は地名から発祥しているといわれていますので、『角川日本地名大辞典』に同名地名の語源が記されているときには、苗字解読の役にも立ちます。
  2. ここでも高松町史が使用されています。高松町史は正式には『石川県高松町史』といい、1974年に発行されました。市町村史はだいたいが1,000ページを超える分厚さですが、この本も1302ページあります。国立国会図書館にほか東京都立中央図書館、富山県立図書館、石川県立図書館に所蔵されています。これらに出向いて閲覧するか、図書館の相互貸借を利用して最寄りの図書館に取り寄せると良いでしょう。そのさいに国立国会図書館から取り寄せた場合は、館内から持ち出すことはできません。コピーも申請しなければできません。石川県立図書館から取り寄せた場合は、一般の図書と同じく借り出して自宅に持ち帰ることができます。取り寄せた本が貸出可能か不可かは、その本の所蔵先の管理状態が適用される規則になっています。家で読みたい場合には、貸出可能な本を取り寄せなければなりません。
  3. 「近世」とあります。『角川日本地名大辞典』はこのように時代区分を立てて、解説しています。近世とは江戸時代(1603-1867)のことです。中世や古代が無いのは、この村の記録の初見が近世から始まるためです。それ以前には村は存在していませんでした。
  4. 「加賀藩領」とあります。近世の記述で必ず支配していた領主を書いているのは『角川日本地名大辞典』の特徴です。『歴史地名大系』では、まれにしか領主名が書かれていません。近世の文書は幕府や藩別に分類されることが多いため、村の領主が誰であったのかは知っておくべき情報です。その意味で、『角川日本地名大辞典』は役立ちます。
  5. 近世の解説はほぼ『歴史地名大系』と同じ文書を使っているため、同じような内容ですが、見て分かる通り、『歴史地名大系』とは違って参考にした文書名をまったく書いていません。これが『角川日本地名大辞典』の欠点です。記述の基になった史料、文献にさかのぼって調べることができないため、調査者としては不満を抱かざるを得ません。5では「明治初年の家数71(軒)」とあります。この記述も根拠となる史料名が無いため、何を基にして書いているのか分かりませんが、〇〇番屋敷、〇〇番戸、〇〇番邸(兵庫・岡山県の除籍でよく使われている)のように家に通し番号がふられているときは、村の総戸数から番号の大小が分かるため、明治時代の総戸数を必ずのように書いている『角川日本地名大辞典』は参考になります。なぜ番号の大小にこだわるのかというと、番号は県庁の近くから、または戸長(村長)の家(役場兼務)から、あるいは鎮守の神社のそばからふられていったとされています。いずれも村の中心地とみなすことができるため、番号が小さいほど村の中心地近くに家があったのではないかと推測することができるのです。50番屋敷の場合、村の総戸数が250軒なのと、50軒では、50番の位置がまったく異なります。そのため村の総戸数にこだわるのです。
  6. 近代の項目をもうけているのも『角川日本地名大辞典』の特徴です。『歴史地名大系』の記述はおおむね近世(江戸時代)で終わっています。『角川日本地名大辞典』の近代はそれを引き継ぎ、明治以降の村の様子を教えてくれます。ここにはありませんが、最初に開校した小学校が記されていることもあります。
  7. 二ツ屋では戦後、大規模なブドウ栽培が行われたことが分かります。またこの辞典が刊行された1981年ごろには急速に人口が増加し、農地が減って市街地化が進んでいたことも知ることができます。