明治19年式から大正4年式の戸籍



明治19年式戸籍の特徴

 明治19(1886)年10月に内務省は明治4(1871)年の戸籍法の細則を制定し、それに基づき新しい戸籍が作製されました。この明治19年式戸籍を作製する際に用いられた明治5年式の戸籍を改製原戸籍といいます。

 明治19年に公布された戸籍法の細則は次の通りです。

屋敷番号から地番号へ

 明治19年式戸籍では地租を目的とした土地台帳の整備により、本籍地は地所番号で表示するように指示がでましたが、多くの地域では従来の屋敷番号がそのまま引き継がれました。

除籍簿制度の新設

 戸内の全員が除籍になった場合や戸主が替わった場合、従前の戸籍には朱線をほどこして除籍簿に移すことが定められました。

戸籍副本制度の新設

 戸籍簿は副本を作られ郡役所に保管されました。戸籍簿が焼失、または紛失したときは副本によって戸籍が再製されました。

入寄留簿と出寄留簿の備え付け

 本籍地を移動させずに居住地を移したり、家族の誰かが他所に移った場合、本籍地の役所に備え付けられている「出寄留簿」にその旨を登録し、居留地の「入寄留簿」にも登録されることになりました。寄留簿は戸籍の本籍地と本人の居住地の相違を埋めるために作られた公簿であり、学齢簿の調製や印鑑証明書の発給などに用いられました。

 とはいえ、届出に罰則がなかったため、実際には無届者が大勢いました。そこで大正3(1870)年に寄留法が成立し、「九十日以上本籍外に於いて一定の場所に住所又は居所を有する者はこれを寄留者とす」と定め、寄留届を怠ると5円以下の過料に処せられました。

 ただし、明治中期以降は都市化によって本籍地を離れる寄留者が増加したため、明治31年の戸籍法では「本籍は必ずしも住所地ではなくともよい」と改められました。

届出の義務

 出生、死亡、失踪者復帰、廃戸主、廃嫡、改名、復姓、身分変換などについて届出の義務が課され、期間は10日以内。おこたると1円25銭以下の科料に処されました。



明治31年式戸籍の特徴

 明治31(1898)年に明治民法が制定されたのにともない、戸籍法も民法の付属法として改変されました。この戸籍法により明治19年式戸籍は書き換えられ、明治31年式戸籍が編製されました。大正3(1914)年までこの戸籍は使われます。明治31年の改正点は次の通りです。

  • 戸籍の所管官庁が内務省から司法省に移され、戸籍事務の監督は地方裁判所が当ります。戸籍事務は従来通り戸籍役場で戸籍吏が取り扱います。
  • 本籍地は地番主義が徹底され、本籍地は必ずしも居住地ではなくとも良いとされました。
  • 西洋の制度にならって戸籍簿のほかに出生、死亡、婚姻、養子縁組などの身分事項を記入した「身分登記簿」が作られるようになりましたが、内容は戸籍と同じであり、利用価値が低かったため「身分登記簿」は大正4年に廃止されました。
  • 戸籍を編製するごとに副本を作り、正本は戸籍役場に、副本は監督庁である地方裁判所で保管することになりました。
  • 戸籍の記載順序は冠婚葬祭における家族の席順を具体化したものとされ、戸主→戸主の直系尊属(祖父母は父母よりも先順位)→戸主の配偶者→戸主の直系卑属及びその配偶者→戸主の傍系親族とその配偶者の順番で記します。
  • 戸主には家族の居住指定権と婚姻と養子縁組の同意権が与えられ、戸主の意に反して居所を変更したり、婚姻や縁組をすると、戸主は扶養義務をまぬがれ、その者を離縁したり、復籍を拒否したりすることができました。



大正4年式戸籍の特徴

 次いで大正(1915)4年にも戸籍法が改正され、それに基いて大正4年式戸籍が編製されました。大正4年式戸籍は昭和23(1948)年まで使用されます。大正4年の戸籍法改正の要旨は次の通りです。

  • 族称欄の記載方法が改められました。それまでの戸籍では華族、士族、平民の族称が必ず記載されましたが、大正4年式戸籍では華族と士族に限って記載し、平民の記載ははぶかれることになりました。この戸籍への族称記載は昭和18(1943)年には完全に廃止され、現在、族称が記載されている謄抄本を戸籍役場が交付する時には、これを塗抹処理(隠す)することとされています。
  • 大正3(1914)年から「寄留法」が戸籍法から独立し、単行法となりました。

 明治31年戸籍は大正4年式戸籍の施行後も利用され、すべての明治31年式戸籍と大正4年式戸籍は昭和23年の戦後戸籍法の施行後、約10年かかって昭和23年式戸籍に改製されました。