クリティカル・ファミリー・ヒストリー(批判的家族史)の重要性


 欧米では、家族歴史探求や家系図が趣味として広く受け入れられ、取り組んでいる人口も非常に多いですが、その一方で、家族歴史探求や家系図は白人優位の世界であり、白人至上主義的であるという批判もなされてきました。そのような批判の原因は、家族歴史探求で語られる物語が、先祖の成功談や苦労談に終始することが多く、当時の社会が抱えていた人種や差別、人権、権力構造の問題に触れることが少なかったことがあげられます。また、家系図は伝統的に白人社会の趣味であったことから、彼らの視点から語られることが多く、アフリカ系アメリカ人や有色人種の移民、先住民など差別された側、抑圧された側の視点から語られることが少なったことがあります。2023年には全米系図学会(National Genealogical Society)も協会が約100年にわたって行ってきた、白人至上主義と、アフリカ系アメリカ人などに対する人種差別的かつ差別的な行動や決定について、正式な謝罪と報告書を発表しました。このような反省のもとに、いま注目されているのがクリティカル・ファミリー・ヒストリー(批判的家族史)という試みです。

 クリティカル・ファミリー・ヒストリー(批判的家族史)は、カリフォルニア州立大学教育学部の名誉教授クリスティーン・スリター博士の造語です。博士はいつくかの大学で教員を養成する上で、家族歴史の重要性に気づき、家族の歴史と人種・性別・階級に関する研究とを結び付けようと考えるようになりました。

 たとえば、ある家のドイツ系の先祖がアメリカでドイツ語や文化を捨てさせられたことを知り、移民が自分の文化を捨てなければならない社会の問題について考えました。またあるときは、自分が相続したお金が、実は先住民の土地を奪ったことから始まっていると知り、その事実とどう向き合うかを悩みました。

 「クリティカル・ファミリー・ヒストリー」と似ている方法に「オートエスノグラフィー( autoethnography。自伝的民族誌)」があります。どちらも自己を社会文化的文脈に位置づける点において共通していますが、 両者には明確な違いがあります。それは、オートエスノグラフィーは主に自分自身の体験をもとに社会を分析しますが、クリティカル・ファミリー・ヒストリーは、はるかに広範囲に複数世代にわたる家族の歴史を調べ、その中で社会的な力や不平等がどう働いていたのかを考えます。

 現在では、アメリカの大学を中心に、授業などでもこの方法を実践する教員が増えています。生徒たちは、自分の家族について調べる中で、意外な事実を知り、大きな学びを得ます。そこには、驚きや悲しみ、時には誇りもあるのです。

 クリティカル・ファミリー・ヒストリーは、自分の家族の歴史を深く調べ、その中にある社会の仕組みや不公平を見つけ出す方法です。先祖の成功談や苦労談という視線で語られる一般的な家系図や先祖探しからさらに前進して、もっと広い視点で、「そのとき社会はどうなっていたか」「誰が得をし、誰が苦しんだのか」を考えることが目的です。「自分の先祖はどこに住んでいたのか?」「周りにはどんな人たちがいて、彼らと先祖はどんな関係があったのか?」といった問いを通じて、個人の歴史と社会の歴史をつなげて考える試みです。

 この方法を使うと、家族の過去がただの伝記的物語ではなく、差別や特権の歴史の一部だったことが見えてきます。たとえば、ある女性は、自分の先祖が1800年代にサンフランシスコで中国人労働者を追い出す活動をしていたことを知りました。また、ほかの先祖はアメリカ政府から「ホームステッド法(西部開拓時代に未開の公有地を一定期間居住・開墾した者に無償で払い下げる制度)」という制度を通じて土地をもらい、金持ちになっていたのですが、その土地は先住民(ネイティブ・アメリカン)の土地でした。こうした発見は、「自分の家族が努力して成功した」という話だけでは説明できない、構造的な不公平を明らかにしています。

 またある人は、自分の白人の先祖がとても簡単にアメリカの市民権を得ていたことを知りました。これは、当時の法律が白人優位に作られていたからです。また、アフリカ系アメリカ人の女性たちが、学校でどのように差別を受けてきたかを記録した研究もあります。ある学生は、奴隷だった自分の祖先が白人の男性から無理やり関係を持たされた事実を知り、それをクラスで発表しました。この発表は、クラスメイトたちにも大きな影響を与えました。

 クリティカル・ファミリー・ヒストリーは、こうした家族歴史を探求する上で発見した物語を、教育などの場で活かすことができることが実証されています。しかし、自分の先祖の物語を批判的という言葉のもとで語るのには、心理的な抵抗感がともなうものです。ここで重要なことは、クリティカル・ファミリー・ヒストリーは決して個々の先祖を貶めることでもなければ、先祖が行った行為に対して子孫に罪悪感をいだかせることでもないということです。先祖のありのままを受け入れ、自らに命をつないでくれたことに対して深く感謝し、先祖たちという拡大家族全員に愛情を感じつつ、「自分の家族はどんな社会の中で生きていたのか」「それが今の自分にどうつながっているのか」を知ることなのです。我々は、「先祖が苦労して成功した」という物語を信じています。しかし、よく調べると、先祖が得た成功の背景には、差別的制度や抑圧、何らかの搾取が関係していた場合もあります。クリティカル・ファミリー・ヒストリーは、そうした従来の家族歴史では語られることがなかった隠された事実や忘れられた歴史にも目を向けようという試みです。

 いま、世界中で家族の歴史を調べることはとても人気があります。家族のルーツを知ることで、自分のアイデンティティ(自分とは何者か)を深く理解できるからです。多くの人は先祖の名前を追うことや成功談、苦労談を記すことに夢中になります。しかし、家族歴史探求の価値はそれだけではなく、歴史をただの教科書の中の出来事ではなく、自分とつながる物語として学ぶ絶好の機会でもあるのです。従来の家系図に「社会のしくみ」「歴史の不公平さ」という視点を加えることで、我々は自分の家族を通して、これまでとは違った歴史的事実に近づく道を見つけることができるのです。

 クリティカル・ファミリー・ヒストリーは海外の系図学の試みではありますが、我が国の家族歴史探求、家系図作りにも導入することによって、これまで語られることのなかった視点から、より価値のある家族の歴史が語られるようになることでしょう。個人の家族史から発せられる問は、時を超えて我々全員に投げかけられた問いでもあるはずです。クリティカル・ファミリー・ヒストリーによって、家族歴史探求の価値がより高められ、いま以上に多くの人の理解と賛同が得られることを心から願っています。