故地ツーリズムによる地方の活性化


 故地ツーリズム(Ancestral Tourism)とは、先祖ツーリズムともいい、ご先祖が住んでいた場所を訪れる旅行のことです。ご先祖の故郷をたずねる旅は欧米ではすっかり定着した感があり、おもにアメリカ人やオーストラリア人などの移民の子孫が、先祖の故地であるヨーロッパ諸国を訪問しています。受け入れる国側でも故地ツーリズムでやってくる人々は通常の観光客に比べると滞在期間が長く、観光地ではない場所に喜んで来てくれることから歓迎しています。



 たとえばスコットランドでは、自国の人口が約500万人なのに対して、世界中に広がったディアスポラ(Diaspora 故国・故地を離れた人々)の数は最大で8,000万人に達すると試算されており、非常に大きな資源(マーケット)と認識されています。このディアスポラたちを迎えるため、彼らの家系図作成に役立つ記録のアーカイブス化が迅速に進められ、積極的に公開されてきました(喜多裕子・山口 覚「現代スコットランドの先祖調査ブーム -調査手法の展開と系図学的想像力ー」 人文地理第60巻第1号 2008)。

 日本でも、故地ツーリズムを楽しむ人が増えることを私は心から望んでいます。日本で故地ツーリズムを行うためには、まずは戸籍、除籍を取り寄せなければなりません。現在取得できるもっとも古い戸籍様式である明治19年(1886)式戸籍を取り寄せると、明治初~中期の本籍地が記載されています。これがご先祖の故郷、故地です。



 この故地はおおむね江戸時代から住んでいた場所と推測されます。江戸時代は原則として農民の土地移動を規制していましたから、農民は先祖代々住んでいた土地から離れることができませんでした。この移動の制限は明治政府によって廃止されましたが、かといって一気に人々が流動的に動いたかと言えばそうではなく、とくに農民は明治初・中期になっても江戸時代と同じ土地空間に住んでいました。最古除籍にある故地とご先祖との時間的な結びつき(居住期間)については、同姓の分布、菩提寺の有無、旧土地台帳や郷土誌などによってより詳しく知ることも可能です。しかし、これらは第二のステップと考え、まずは最古除籍の本籍地を故地と考えて訪問されることをお勧めします。何もあせることはありません。その後の調査で、より長い期間住んでいた故地が見つかれば、楽しみが増えたと思って次はその地を訪れればいいのです。


 実際の訪問にさいしては、本籍地の住所を現在の住所に変換する作業が必要になりますが、これも難しいことではありません。ネットで検索すれば明治時代の村が現在はどの自治体に属しているかを簡単に知ることができます。さすがに本籍地の〇〇番地、〇〇番屋敷が現在のどの場所なのかをピンポイントで知ることは、ネットでは無理ですが、たとえば高祖父が石川市かほく市二ツ屋に住んでいたというようなことは、除籍の情報から知ることができるのです。



 あとは、この地へ旅立つ準備を開始しましょう。故地でご先祖を調べることを家系図の作成では現地調査と言いますが、現地調査を行うかどうかは自由です。観光者気分で故地を訪れ、近くの温泉に入り、地元の名物を食べ、地酒を飲む旅であっても、その旅は故地ツーリズムと言えます。

 故地ツーリズムと一般の観光旅行の違いは、故地ツーリズムは自らの根源(根っこ。Roots)の地に立ち、家の歴史を想起するというきわめてプライベートな旅であることです。一般の旅では、名所や歴史遺産を見ても、それが自分のご先祖と無関係であれば、日本の歴史を想起するだけであって、自らのアィデンティティに影響を与えることはありません。ところが故地ツーリズムはファミリーヒストリー(家の歴史)というプライベートな歴史に根差していることによって、情景が自らのアイデンティティに何かを訴えかけてくるのです。故地ツーリズムでご先祖の故地に立ち、血が騒いだ、大いなる何かに包み込まれているかのような安らぎを感じた、先祖もこの風景を見ていたと思うとありふれた山や川、人々の顔、話している言葉にすら感動を覚えた、と話す人もいます。こういう体験は一般の観光旅行では決して味わえないものです。

 

 私たちの故地は一か所ではありません。2分の1の血を受け継ぐ両親の故地は2か所、4分の1の血を受け継ぐ祖父母の故地は4か所、8分の1の血を受け継ぐ曽祖父母の故地は8か所、16分の1の血を受け継ぐ高祖父母の故地は16か所もあります。これらの故地の大半は除籍から知ることができます。

 


 ご先祖の故地を知るためには戸籍、除籍を取り寄せなければなりませんが、難しいことは何もありません。広域交付を利用すれば、誰でも、どこにいても簡単にご先祖の最古戸籍を取得することができます。

 故地ツーリズムに出かける前段階に必要なものは、

  1. 故地を知るための最古の除籍。
  2. 故地の旧土地台帳。故地を管轄する法務局に請求します。郵便で取り寄せられます。
  3. 故地の歴史沿革を知るための資料。具体的には『日本歴史地名大系』と『角川日本地名大辞典』。どちらも図書館にあります。

 1の除籍は必ず必要ですが、2と3はあればなお良いという資料です。

 北海道民は約547万人、東京周辺の南関東に住む約3,612万人の大半もディアスポラです。世界には約380万人(公益財団法人海外日系人協会発表)もの日系人というディアスポラがいます。このようなディアスポラを受け入れる地方の自治体にも故地ツーリズムの素晴らしさをお伝えしたいと思います。故地ツーリズムに特別な観光資源は必要ありません。ご先祖の故地を訪れたいディアスポラはご先祖の見た自然、暮らした町並み、そこに住む人々の方言や生活習慣、祭礼、素朴な郷土料理に心惹かれる人々です。ありのままのその地を訪ねたいのです。彼らが故地に求めているものは散策してご先祖との絆を再確認し、住民の方々と触れ合ってご先祖の暮らしを想像し、でき得れば遠い親戚と再会し、ご先祖の墓やゆかりの遺物を見たいのです。

 現在過疎化が進んでいる地域であっても、かつてその地に住んでいた人々の子孫は日々増え続け、全国にいます。北海道をみても明治時代に本州から入植した夫婦2人の子孫は、現在200人を超えていることも珍しくはありません。地方自治体には、そのような大いなる可能性を秘めた観光人口の存在に是非とも気づいていだき、沖縄県やスコットランドのようにディアスポラを歓迎する体制を整えて、「おかえりなさい。ご先祖の地へ」というキャンペーンをぜひとも展開してもらいのです。関心のある自治体はこちらからお問い合わせください。

 沖縄県では、5年に一度開催される「世界のウチナンチュー大会」が盛り上がっています。2017年に開催された第6回大会には全世界から沖縄にルーツを持つ人々が7000人も集いました。日本のほかの地域でも同様の試みは出来ます。全国各地で「世界の〇〇大会」が開催され、一人でも多くの人々が故地とのつながりを復活させ、かつてご先祖の住んでいた地の人々と交流を深めることは素晴らしいことではないでしょうか。

世界ウチナンチュー大会

About第6回世界のウチナーンチュ大会

 これだけ大勢の観光人口が潜在的にあるわけですから、その人たちに向けて、故地ツーリズムに特化した商品をどこかの会社が制作することにも期待しています。いま家系図を代理作成している業者に求められていることは、価格競争や装丁のバリエーションなどによって、この小さなマーケットのシェアを奪い合うことではありません。もっと高い視野に立ち、イノベーションを起こしてニッチなマーケットをメジャーに引き上げることこそが重要な課題です。偏見や差別を徹底的に排除した知的な趣味としての健全な家系図を社会に普及させることが何よりも大切なことです。個々が自社の生き残りだけを考えていれば、それはマーケット全体の停滞、あるいは衰退につながるでしょう。世界的にルーツがブームになっているいまこそ自社のことだけではなく、家系図マーケット全体、ひいては日本人の家系図観そのものを大きく変えるような未来志向の企業が現れることを切に望んでいます。

 アメリカの系図会社Ancestry.comが開催している故地ツーリズム

 Heritage Travel