旧土地台帳を読み解く(1)


 今回は家系図作成のため旧土地台帳を読み解きましょう。


サンプル4
サンプル4

 

 旧土地台帳は明治22年(1889)7月1日の大蔵省訓令第49号「土地台帳様式調製方」に基づいて作製された地租の課税台帳です。明治29年(1896)以降、全国に税務署が設置されると、土地台帳事務は税務署の所管となり、それは昭和25年(1950)まで続きました。同年7月31日以降は法務局に移管され、現在は法務局に申請して取得することになっています。現在では使用されていないことから、土地台帳ではなく、旧土地台帳と呼ばれています。 

  1. 町名と番地が記載されています。この番地の土地について詳細が記されています。通常はご先祖の住んでいた本籍地の旧土地台帳を郵便で申請して取得します。ちなみに旧土地台帳は請求権が定められている戸籍・除籍とは異なり、誰でも、必要とする土地のものを取得することができます。料金も無料です。
  2. 「郡村宅地」「畑」と書かれています。これは地目といい、土地が何に使われているのかが書かれています。この土地の場合、最初は畑(農地)でしたが、後に郡村宅地(郊外の住宅地)に地目が変更になりました。地目によって地租(固定資産税)の課税率が異なっていました。畑よりは郡村宅地、郡村宅地よりは市街地宅地のほうが税率は高くなり、土地としての価値も高くなります。珍しい地目としては墳墓地があります。これは家の裏山や田んぼの隅にある墓地のことです。墳墓地は第二種地に区分けされ、無税地とされました。旧土地台帳は誰でも閲覧、複写ができますので、ご先祖の墓を探すときには、この墳墓地を探してみるという方法もあります。
  3. 三つの枠があります。右から反別(地積)、地価、地租です。反別の単位は地目が田・畑・山林・原野などのときには町(ちょう)、反(たん)、畝(せ)、歩(ぶ)が使われました。30歩=1畝、10畝=1反、10反=1町です。表記は横棒より上が反で、下は畝、歩となります。対して、地目が宅地の場合は坪が用いられました。坪(つぼ)、合(ごう)、勺(しゃく)です。10勺=1合、10合=1坪です。横棒より上が坪で、下は合、勺です。1歩と1坪は等しく、3.3㎡です。サンプル4の場合は畑で表記されおり、「一反一畝二四歩」とありますで、約354坪になります。真ん中は地価です。地価は土地の価格を表し、サンプル4の場合は横棒より上が円ですから、20円96銭4厘となります。左の地租は江戸時代の年貢、現在の固定資産税のようなもので、当初は地価の3%、後には2.5%に減じられました。また農地と宅地では税率が変化しました。明治時代の1円が現在のお金に換算するといくらくらいかというのは難しい問題ですが、約2万円くらいでしょうか。試しに1円≒2万円で計算すると、地価と地租の金額をリアルに感じることができるようになります。
  4. 登記年月日です。旧土地台帳は明治22年(1889)からの所有者が記載されていますから、サンプル4のように最初に日付が入っていないということは、明治22年以前から所有していることを表しています。左隣に明治25年(1892)3月28日とあります。これが所有権の移転が行われた年月日です。
  5. 事故とあります。事故と言っても交通事故のように悪いことを記載する箇所ではなく、登記の原因か目的が記載されました。サンプル4の場合、明治25年3月28日の所有権移転の原因は「譲與(与)」とあります。譲与とは金銭の授受をともなわない譲渡のことで、通常は遺産の分配のさいに行われました。譲與の左隣には遺産相續(続)とあります。ほぼ同じ意味で、最初の所有者から2番目、2番目から3番目の所有者には遺産相続でこの土地が譲られたことが分かります。
  6. 所有質取主住所を書く欄です。所有者がその土地に居住している場合は空欄となりますが、他所に住んでいる場合は住所を書きました。サンプル4では東京市四谷区四谷永住町(現在の四谷4丁目)とありますので、所有者はこの地ではなく永住町に住んでいたことが分かります。また土地が質に入れられている場合は、質取主(質権所有者)の住所を記入しました。
  7. 所有者か質取主の氏名が書かれています。この欄に名前が書かれいる人物がこの土地の所有者でした。明治の古い除籍が取得できなかった場合、この欄からご先祖の名前がさかのぼれることがあります。また傍系(ご先祖の兄など)の子孫が代々土地を引継いでいる場合は、その傍系(ご先祖の兄など)の子孫の氏名を知ることもできます。