家系図のQ&A



Q 家系はどこまでさかのぼれますか?

A 寺請制度が定着した1600年代までは過去帳でさかのぼれます。それ以前については史料が極端に少なくなるため、公家やごく一部の武家をのぞくと家系をさかのぼることは困難です。苗字と家紋の組み合わせなどから源平藤橘など、遠い出自を推測することはできますが、それはあくまでも推測であり、史料の裏付けのない仮説でしかありません。


Q 簡単に家系を調べる方法はありますか?

A  戸籍と除籍を取得する方法がもっとも簡単です。現在入手可能な明治19(1886)年式戸籍を取り寄せれば、江戸後期(1830年前後)に生まれたご先祖の名前・本籍地・続柄・兄弟・死亡地などを知ることができます。ご自分の戸籍を取得してから、1か月ほどで明治19年式戸籍を入手できることもあります。


Q  除籍を見ると何がわかるのですか?

A  戦前の除籍からは、戸主(現在の筆頭者に該当)とその親族の氏名、その人たちの父母、生年月日、没年月日、本籍地、出生地、死亡地、家督を相続した日、婚姻した日と相手の氏名、分家した日、離縁されて実家に戻って来た日、使用していた実印などが記載されていますが、地域差があり、実印などは押印されているものと無いものがあります。


Q  母の母の父親の除籍も取れますか?

A  ご自分の直系尊属のものは全て取れます。直系尊属とは直通する系統の親族のことです。もっとも一般的なのは父、祖父、曽祖父、高祖父と直通する父系ですが、母、祖母、曽祖母、高祖母もそうですし、父の母の母の父、母の母の父も直通していますから直系尊属にあたり、除籍を取り寄せることができます。


Q  除籍は郵便で取り寄せできますか?

A  できます。全国の役所に保管されている除籍謄本や改製原戸籍は郵便で取り寄せることが可能です。その場合、除籍謄本の料金(1通750円)は郵便局で売られている定額小為替で支払います。


Q  先祖は樺太で終戦を迎えました。除籍は取れますか?

A 樺太の除籍は大泊郡知床村のものなど、 6か村が終戦時に持ち帰られ、現在は外務省外務省アジア大洋州局地域政策参事官室外地整理班に保管されています。これは通常の除籍とほぼ同じ手続きで取得することができます。ただし数が少ないため、該当者は少ないでしょう。そのほかの人は除籍ではなく、次項の「引揚者在外事実調査票」を閲覧することをお勧めします。また、全国樺太連盟などに問い合わせたり、樺太の紳士録を調べたり、引揚者給付金の申請記録などを確認するなどして、樺太時代の情報を集めることもできます。さらに樺太では、火災保険特殊地図(火保図)という保険会社が使用した現在の住宅地図も作製されました。これは『戦前期樺太火災保険特殊地図集成』として刊行されていますので、そこからご先祖の住んでいた家を特定することもできることがあります。


Q  先祖は外地で終戦を迎えました。除籍は取れますか?  

A 除籍の取得は困難と思われますが、除籍に代わる情報源として昭和 31(1956)年に厚生省が引揚者を対象に行った悉皆調査があります。「引揚者在外事実調査票」です。これは昭和 20(1945)年 8 月 9 日の時点で、外地(北鮮、南鮮、台湾、樺太・千島、満州、関東州 )に住んでいた世帯に対して、直接調査票への記入を求めたものです。

 調査票には以下の項目がありました。世帯代表者氏名、終戦時の世帯主との続柄、終戦時の住所、現住所、本籍、引揚後最初の住所、現 在の職業及び勤務先、勤務先の名称、在外地域(選択)、在外年数 、世帯員の状況そのⅠ(生存) 氏名、続柄、性別、生年月日(年令)、外地渡航年月、引揚出港地、船名、上陸地、引 揚(上陸)年月日、生活保護の有無、現住地都道府県 • 世帯員の状況そのⅡ(死亡) 氏名、世帯主との続柄、性別、死亡時の年令、死亡年月日、死亡場所 • 在外中の世帯主の(最長期)職業状況:職業、勤務先、期間 、終戦時:職業、勤務先、期間 • 恩給受給状況: 受給者、種類、年額 • 備考など、大変に詳細な内容になっています。

 この調査票は平成 23(2011)年までは戦没者等援護関係資料の一つとして、厚生労働省で使 用、保存されていましたが、現在は国立公文書館へ移管されました。つくば分館に保管されていますので、そちらへ行けば閲覧できますが、東京の国立公文書館本館で閲覧する場合は一週間前までに閲覧箇所を申し出て、分館から取り寄せてもらう必要があります。内容は一部非公開の部分もありますが、誰でも閲覧できます。

 また樺太と台湾では火災保険特殊地図という住宅地図が作製されました。それは『戦前期樺太火災保険特殊地図集成』『戦前期台湾火災保険特殊地図集成』(全2冊)として刊行されていますので、ご覧になることをお勧めします。


Q  家系図作成は先祖が住んでいた場所に行かないとできませんか?

A  ご先祖が住んでいた土地を訪ねることを「先祖ツーリズム」といいます。家系図作成では情報を収集する大事な方法とされていますが、遠方の場合、なかなか出かけられないのも現実です。しかし大丈夫です。家系図作成のほぼすべての作業は自宅にいながらできます。除籍、旧土地台帳、公的記録などは郵便で取り寄せられますし、全国の図書館に所蔵されている郷土誌(市町村史など)は最寄りの図書館に取り寄せて読むことができるからです。


Q  遠い親戚と思われる家を突然訪ねると嫌がられませんか?

A 電話帳やゼンリンの住宅地図を見ると、ご先祖が住んでいた地域に現在でも住んでいる同姓を発見することができます。電話番号がわかっていますから、おもわずダイヤルしてしまう人もいますが、突然、見知らぬ同姓から電話をもらった相手はとまどってしまいます。まずは手紙で家系を調べていることを伝え、協力を求めましょう。手紙の返信が来れば、次は電話で話してみましょう。そのように段階を踏んで信頼を得ていけば、将来的に家を訪問しても迷惑がられることはないでしょう。くれぐれも事を急がないことです。


Q  除籍を見ると、本籍地に〇〇番屋敷とありました。屋敷に住んでいたのですか?

A  屋敷というと、我々は大きな家をイメージしますが、明治時代の除籍に書かれている〇〇番屋敷というのは、あくまでも家のことで、規模は関係ありません。本当に豪壮な邸宅も屋敷である一方、かろうじて建っているようなあばら家も屋敷と呼ばれて番号が付けられました。そもそも〇〇村〇〇番屋敷や〇〇番戸、〇〇番邸のような家に振られた番号は、その戸籍が作製された時点で、まだ土地に地番号が存在していなかったため、便宜上、家に通し番号を付けて個々を区別したものです。


Q  古い除籍を見ると、養嗣子という言葉が出てきます。養子とは違うのですか?

A  養嗣子とはその家の家督を相続するためにもらわれてきた養子のことです。養家にとっては大切な存在でした。多くの場合は、実の娘と養嗣子を婚姻させて家督を継がせました。対して養子や養女というのは、必ずしも家督相続を目的としない養い子のことです。


Q  古い戸籍を見ると母親の欄が空欄です。これは母親が分からないということですか?

A 母親の記載欄が設けられたのは明治31(1898)年式戸籍からです。それ以前の明治5(1872)年式、明治19(1886)年式戸籍には子供の母親を記載する欄が設けられていなかったため、すでに母親が死亡していた場合は、戸籍のどこにも母親の名前が記載されないという現象が起こりました。明治31年式戸籍の母親の欄が空欄なのは、一般的にはそれ以前に母親が死亡したためによるものであって、母親が不明という理由で空欄になっているものはほとんどありません。


Q  古い戸籍を見ると、長男、三男、五男、二女はいるのに、ほかの兄弟はいません。

A  戸籍は家督相続が行われて戸主(現在の筆頭者のようなもの)が変更になると新しいものに書き換えられます。転籍したさいも、戸籍法の改正で新しい書式が公布されたときにも書き換えられます。このような書き換えのさい、その戸籍の中で、すでに死亡した者、他家に養子や養女に行った者、嫁いだ者などは除籍にして新しい戸籍には引き継がない規則になっていました。二男、四男、長女がいないのはそのためです。引き継がれなかったということは、いま手もとにある除籍よりも古い除籍を見れば、彼らがなぜ次の戸籍に引き継がれなかったのかを知ることができるでしょう。


Q 古い戸籍を見ると廃家して実家に戻って来たとあります。意味が分かりません?

A 廃家とは、ある戸籍から分家して独立した者が、何らかの理由で分家した家を廃止(廃家)して、再び元の戸籍に戻ることを言います。たとえば、二男で家は兄(長男)が継ぐので分家したけれども、その兄が子供を残さないで死んだため、急きょ実家を継ぐため分家を廃家にして実家に戻るというようなケースがあります。また分家したものの、婚姻しなかった場合、廃家して実家の戸籍に戻る場合もありました。 


Q  先祖の仕事を知ることはできますか?

A  除籍に仕事の記載はありませんが、本籍地から推測できることもあります。戦前の本籍地は居住が前提です。そのため本籍地が農村であれば、農家の可能性が高く、都市であれば町人(商人・職人)・武士の可能性が考えられます。また明治5(1872)年に公布された学校令によって全国に小学校が開校しましたが、この学校記録のなかに生徒の父親の職業が記載されていることがあります。


Q  先祖の死因を知ることはできますか?

A  除籍に死因は書かれていません。そこで亡くなった日付を手掛かりに調べることになりますが、新聞や市町村史を調べてみると、その地域でその時期、コレラなどの伝染病が大流行していたこが分かることがあります。またお寺の過去帳に稀ではありますが死因が書かれていることがあります。やはり一番有力は情報源は親族に伝わる言い伝えです。一族の長老に聞いてみると良いでしょう。なお除籍には野戦病院で死亡とか、〇〇沖にて死亡という記載があることがあります。前者は戦病死ですし、後者は船の沈没が死亡原因と推測できます。



Q  そもそも古い戸籍(除籍)に書かれていることはすべて事実ですか?

A 戸籍の盲信は危険です。戦後の戸籍の信頼性はおおむね大丈夫だとしても、戦前、とくに明治の戸籍には信頼度に問題があります。

 明治5(1872)年に作製された壬申(じんしん)戸籍の原本は法務省が厳重に管理していますが、閲覧が可能だったころ、写本を入手していまでも保管している家があります。そのような家の壬申→明治19年式戸籍→明治31年式→大正4年式の戸籍を一連の流れとして検証する機会がこれまでに何度もありましたが、そこで分かったことは、戸籍は決して一次史料ではなく、またオリジナルでもないということです。
 とくに壬申と明治19年式の間には、意図的な改変が目立ちます。壬申では養子であったものが、明治19年式では実子と書かれていることもあります。両方の間で生没年に変化があることもあります。続柄も異なっていることがあります。これらの事実は、壬申と明治19年式の戸籍は届出人と受理した戸籍吏が同じ村に住む住人であり、両者の間に地縁、血縁的な深い結びつきがあり、それが戸籍の書き換えを容易にしていた点を考慮する必要があります。当時は届出者の申し出により、戸籍吏が恣意的に個人情報を書き換えることもあったのです。
 明治の戸籍はイベントが起きた直後に作られた一次史料でもありません。当時は生まれから何か月、ひどいときには数年も出生届を出さなかった事例が多数報告されています。本当は1月15日に生まれても、雪が溶けるまで届け出ず、春になって届けたため、戸籍では3月20日に生まれたことになっているというようなケースは昭和10年代になっても見受けられます。
 死亡についても同様で、死亡していても全く届けていない事例もあれば、死後かなり経ってから届け出ることもありました。現在のように病院で亡くなるわけではなく、自宅で亡くなるとことが多かった昔はそういうことが可能だったのです。医者も同じ村の顔見知りですから、頼まれれば届出に合わせた死亡診断書を書いたのでしょう。過去帳や墓石の没年月日と戸籍の没年月日にズレが生じていることは珍しくはありません。その場合、まずは過去帳や墓石の没年月日が旧暦で書かれている(明治末期まで過去帳に旧暦を使用した寺院は少なくないのです)可能性を確認しなければなりませんが、旧暦ではない場合は家督相続(財産)の問題、あるいは冬場で届出が困難だった場合など、いろいろな状況を推理してみる必要があります。
 あろうことか養父と養女の間に子供が出来てしまい、急きょ養女を婿養子と結婚させて、戸籍上は婿養子の子にしたケースもありました。この場合は、さらに探ると、婿養子は戸籍の名義を貸しただけで、実際にはその養女と結婚生活を営んでいた実態すらありませんでした。二人は子供が生まれた直後に離婚しています。
 戸籍上の人物がすり替わっているケースもあります。北海道などでは開拓者に土地が貸し与えられましたが、貸与人が逃亡することも珍しくなく、その時は家族が相談して使用人や流れ者を貸与人に仕立てて土地の没収を回避したという事例もありました。まさに「事実は小説よりも奇なり」です。
 戦災や災害などで戸籍の原本と副本、役所の身分登記簿が一度に失われた時は聞き取りによって新しく戸籍を編製しましたが、そこに書かれていることがどこまで真実であるかは疑問です。樺太から引き揚げて来た家も戸籍を失っているため、戦後10年以上たってから就籍した家も珍しくはありませんが、本人の自己申告だったため、この戸籍単独では信ぴょう性が担保されません。
 戸籍はオリジナルでもありません。戸籍は役所に保管されていたものなので公文書の原本であると思われる方も多いですが、戦前までの戸籍というものは何度か書き換えられているのです。戸籍法の改正で書き改められることもれば、転籍や家督相続で書き換えられることもありました。このとき戸籍吏は原本を筆字やペンで書き写しましたが、人の行う作業ですから誤字脱字がよく生じたのです。改製原戸籍の文字があまりの悪筆で誤読したケースもありました。このような戸籍の転記に際して生じた誤記脱字が現在の除籍の約30%に見られることを法務省も認めています。
 戸籍のオリジナルといえるものは、明治5年の壬申戸籍のみです。この戸籍で誤りが生じた場合、その誤りは伝言ゲームのように後の派生物の戸籍に引き継がれてしまいました。
 以上のような理由で戸籍をそれ単体で真実と思い込み、系図を書くことは危険です。戦前の戸籍を扱う際には公文書だからといって頭から盲信せず、他の記録によって検証することを心がけましょう。
 そのときに役立つのがアメリカの系図学者認定委員会(1964年に系図学者の専門資格認定機関として設立された非営利団体。 Board for Certification of Genealogists 。通称BCG)が提唱している系図証明基準です。同基準は次の手順を用いて系図の信ぴょう性を証明します。


1適度に網羅的な情報の収集
2引用元の明記(追試の保証)
3情報の徹底的な分析と関連付け
4矛盾する証拠の解決
5合理的で筋の通っている結論


 戦前の戸籍に対しても、このような検証を行ったうえで、系図に用いる習慣を身につけることが大切です。
 古い戸籍(除籍)を取得して系図を組むと、「これで家系図が出来上がった」と安心する人がいますが、本当はそこから真実の系図づくりがスタートするのです。
 戸籍というものは、あくまでも料理に使う食材でしかありません。食材をキッチンに並べても料理とは言いませんね。その食材を調理して初めて料理と言います。戸籍制度は先祖調査にとっては大変に便利な制度ですが、古い戸籍は食材だということを知り、それをじっくりと調理するつもりで系図作りを楽しむ心構えでいてください。


Q  古い戸籍(除籍)に書かれていることが本当にそんなに信じられないのか、にわかには信じられません?

A 壬申戸籍の記載に遺漏や虚偽があったことは、編製された直後から政府の知るところでした。その原因は戸籍という制度自体が全国に浸透していなかったため、届出しなかった人がいたこと。また、届出そのものに罰則がなかった上に、戸籍は徴兵や納税に利用されると思われていた(後に実際に利用されました)ので、故意に届出を怠った人もいました。

 それについては政府も知る所ところであり、内務卿・大久保利通も出来上がった壬申戸籍を調べさせて「等閑疎漏(とうかんそろう)の弊(へい)」がみられると発言しています。その後、壬申戸籍は徴兵に利用されますが、明治14(1881)年9月に陸軍卿・大山巌は戸籍の記載が正しくないため、兵役を逃れている者、あるいは名簿から漏れている者が多すぎると憤り、戸籍は「殆(ほとん)ど反故(ほご)紙の如(ごと)し」とまで言い切っています。

 この壬申戸籍の抱えていた問題は明治19(1886)年式戸籍によって解消されるはずでしたが、正しい内容に修正された例ばかりではなく、誤った記載を追認した例も数多くあったと考えられます。その誤りは、以後の戸籍にも書き写しによって引き継がれていきました。

 先祖調査を行っていると、戸籍の記載が家に伝わる話と違う、過去帳と違う、他の私文書と違うという話を聞くことがあります。その原因は、この壬申戸籍の遺漏等にあった可能性が濃厚なのです。明治初期における戸籍編製の実態をよく理解し、戸籍を盲信せず、他の記録と勘案しながら正確な家系図を作るように心がけることが肝心です。

 とはいえ実際には、明治の戸籍の記載を正せるような情報を入手することは極めて困難と言わざるを得ません。その際には、不自然に感じても戸籍の記載通りに家系図を組むほかに道はありませんが、戸籍の遺漏問題を知ってれば柔軟な発想で推理することができるでしょう。



Q  先祖は庄屋だったと聞いています。確認する方法はありますか?

A  『角川日本地名大辞典』『日本歴史地名大系』など見てみましょう。ご先祖が住んでいた村の庄屋(名主)の苗字が記されていることがあります。またこれらの記述には「〇〇家文書」のような村方文書がよく利用されています。通常、「〇〇家文書」の〇〇家は庄屋(名主)を勤めていた家です。市町村史にも庄屋(名主)のことがよく書かれているので、読まれることをお勧めします。さらに庄屋(名主)の多くは明治になると戸長に任命されました。市町村史には戸長の一覧などがよく掲載されていますので、そこに名前があれば、江戸時代から庄屋(名主)を勤めていた家と推測できます。


Q  先祖は裕福な商人だったと聞いています。確認する方法はありますか?

A  江戸時代の商人で、屋号が分かっているのであれば、『江戸商家・商人名データ総覧』のような名鑑が各地にありますので、まずはご覧になるといいでしょう。市町村史にも記載があるかも知れません。明治以降のことであれば、『都道府県別資産家地主総覧』に「日本全国商工人名録」が収録されています、こちらは屋号が分からなくても苗字で探すことができます。屋号が判明すれば、さかのぼって江戸時代の名鑑も調べられるようになります。また、このHPの全国規模の紳士録・商工人名録・会社役員録も役立つでしょうから、ご覧ください。


Q  先祖は役人だったと聞いています。詳しい履歴は調べられますか?

A  各省や都道府県の職員、警察、司法関係者の場合、国立国会図書館デジタルコレクションで職員録、官員録と検索すると、明治以降のいろいろなものがヒットします。樺太庁や台湾総督府、朝鮮総督府のものもあります。また省庁や都道府県庁のように所属していた期間が現在まで存続している場合は、それぞれの人事課に問い合わせると、在職当時の人事記録が交付されることがあります。また、このHPの官員録・職員録(中央省庁)地方の職員録(地方公務員)も役立つでしょうから、ご覧ください。


Q  先祖の社会的な地位を知りたいと思います。わかりますか?

A  戦前の『日本紳士録』をご覧になることをお勧めします。昭和11年(1936)版には第三種所得税(個人)50円以上、営業収益税70円以上を納税している全国の約18万7.000人の氏名・所属組織名・職業名・住所・納税額・電話番号が記載されています。ここに掲載されているということは、それなりの資産、社会的地位にあったという証拠で、『大衆人事録』や『人事興信録』のような、ほかの紳士録にも掲載されている可能性が大です。いずれの文献も国立デジタルコレクションで閲覧することができます。このHPのデジタルアーカイブを利用した先祖調査で紳士録や役員録などを地域別、年代別、業種別に整理した目録を公開していますので、そちらをご利用ください。


Q  先祖は地主だったと聞いています。事実かどうかを確認できますか?

A  旧土地台帳を取得されることをお勧めします。旧土地台帳は明治22年(1889)以降の土地の所有者の氏名・住所・取得事由・土地の広さ・地価・地租・地目などを記した文書です。法務局で閲覧、複写することができます。この旧土地台帳に記載があれば、地主だった証拠になります。また明治以降、民間の出版社が地主名鑑のようなものを発行しています。国立デジタルコレクションで「〇〇県 地主」と検索すると、該当する文献がヒットするはずです。このHPのデジタルアーカイブを利用した先祖調査の目録には、地主の名鑑も多数含まれていますので、ご覧ください。


Q 先祖の故郷に同姓が数件います。同族かどうかを確認する方法はありますか?

A  手紙、電話、訪問で相手方に聞くしかありませんが、分岐した年代が非常に古い場合は、たとえ先祖を同じくする同族であっても、「つながりはよく分からない」という回答が返ってきます。ひとつ有力な手掛かりは家紋の一致です。あなたの家と相手の家の家紋が一致している、あるいは同じ素材で外郭の有無が違うという場合は、同族である可能性が非常に高まります。アメリカなどでは、同族の認定にY染色体を利用しています。日本でも家系調査にDNA検査が用いられるようになれば、A家とB 家が同族かどうか、同族の場合、何代前あたりに分かれているのか、などを正確に知り事ができるようになるでしょう。


Q  市町村史はどの部分を読めばいいのでしょうか?

A  市町村史には通史と資料編があります。通史とは、地域の歴史を時間の流れにそって文章で解説しているものです。家系調査で見るべき箇所は鎌倉時代以降となりますが、ページ数が膨大な場合は、目で活字を追ってキーワード(調べている苗字・村の名前・ご先祖の名前など)を探し、ヒットした箇所の前後を読めばいいでしょう。なお近世(江戸時代)の通史はご先祖の暮らしぶりを想像する上で参考になることが多く書かれています。武士であれば仕えていた藩の歴史の部分、農民であれば農村生活・支配・年貢・宗門改帳などに関する部分は読み込んだほうがいいでしょう。資料編は通史を書く上で参考にした史料が活字化されて収められています。巻頭の目次に文書名が列記されていますので、ご先祖の住んでいた村や仕えていた藩の史料は見る必要があります。農民の場合、苗字はありませんが、同じ名前を代々襲名していることがありますので、除籍の名前を探してみてください。過去帳があり、江戸時代のご先祖の名前が判明しているときは、その名前を探してみてください。


Q  先祖の出身地の市町村史を読みたいのですが、近くの図書館にはありません。

A  全国の公共図書館の本はお近くの図書館に取り寄せることができます。これを図書館相互貸出といいます。読みたい本(市町村史など)のタイトルを図書館の窓口の方に言って、取り寄せてもらいたいと言うと、申請書をくれますので、それに記入して窓口に出してください。通常、2週間以内には取り寄せてくれて、電話で到着した旨を知らせてくれます。国立国会図書館から借り出された本は、館内閲覧しか許可されませんが、都道府県立図書館から借り出された本の大半は他の本と同じく持ち帰って自宅でゆっくりと読むこともできます。


Q  江戸時代にも戸籍のような記録は作られたんですか?

A  作られています。宗門改帳や人別帳です。どちらも江戸中期から作られたもので、宗門改帳は文字通り宗門、所属している宗派、菩提寺を確認する記録です。キリシタンではない証明のために作られました。人別帳は領主が領内の労働力を把握するために作られたものです。後には両方を兼ね備えた宗門人別改帳も作られました。どちらにも原則として作成された時点の家族の氏名、年齢、続柄、奉公先などが記載されています。ほかに年貢徴収に使われた検地帳や名寄帳のようなものもあります。宗門改帳や人別帳はほぼ毎年のように書き換えられたといわれていますが、新しいものを作製すると、古いものは廃棄したため、現存しているものがごくわずかです。全国的な傾向としては江戸後期のものが比較的よく残っており、長野県や福島県では江戸時代を通じてかなり大量に残っていることが知られています。検地帳や名寄帳は作製されることが稀だったため、やはりほとんど現存していません。



Q  先祖は屯田兵だったと聞いています。確認する方法はありますか?

A  『屯田兵村の百年』(伊藤廣著 北海道新聞社)に屯田兵全員の氏名と出身地が記載されています。ネットでも「屯田兵 名簿」と検索すると、「全屯田兵名簿」というPDFがヒットします。これには出身都道府県しか記載されていませんので、より詳しい出身地を知りたいときは『屯田兵村の百年』をご覧ください。また所属していた屯田兵村がおおよそわかる場合は、それぞれの屯田兵村史にも名簿が掲載されています。

 士族屯田の場合は本HPの北海道へ移住した士族にも氏名が掲載されています。


Q  私の祖父は徴兵されて戦地に赴きました。軍隊時代の活動を知ることはできますか?

A  所属していたのが陸軍か海軍かで申請先は異なりますが、軍歴証明書(兵籍簿・軍人履歴原票)というものがあります。これを入手すると軍隊に入った人の招集から除隊、あるいは戦死までの配属部隊、派遣先、参加戦闘、階級の進級、戦死地が分かります。兵籍簿の複写が交付されは場合は、家族構成や入隊前の職業なども分かることがあります。申請先は陸軍であれば昭和20(1945)年8月15日時点で本籍地が置かれていた都道府県庁の担当部署(北海道庁なら福祉援護課。ネットで検索すれば分かります)に申請してください。樺太・北方領土に本籍地があった人は北海道庁が管轄です。海軍の場合は厚生労働省社会・援護局・業務課調査資料室海軍担当に申請してください。NHKのファミリーヒストリーで軍隊時代の出来事を紹介しているときは、この軍歴証明書が利用されています。なお、軍歴証明書は通常、本人か3親等(父・祖父・曽祖父・兄弟・おじ)まで申請することができます。


Q  先日亡くなった父がシベリア抑留を体験しています。抑留時代の記録はありますか?

A   ロシア連邦政府から提供された記録の翻訳が厚生労働省社会・援護局援護・業務課調査資料室調査係に保管されています。どんなことが書かれているかというと、氏名、出生日、出生地、民族、国籍、党籍、信仰、教育、 住所、家族氏名、職業、召集・志願の別、兵種、所属部隊 階級、投降・非投降の別 、捕虜となった場所、死亡場所、死亡日、死因、埋葬場所、個人資料の資料番号など、詳細です。抑留中に死亡した方のことも書かれています。


Q  ファミリーヒストリーのような調査は個人では無理ですか?

A  無理ではありません。NHKのファミリーヒストリーで家系の解明に利用されているものは、記録と文献と証言の集まりです。これらは自分の先祖のものであれば、誰でも入手できるものばかりです。記録や文献であれば、所蔵先が分かれば、誰でも取り寄せることができます。証言は関係者を見つけることができれば、お話を聞くことができます。ただし、NHKという看板は絶大な信用力を持っているのも事実です。情報を集める上で最も重要なことは、情報提供者から信用されることですが、取材者が天下のNHKであれば、突然チャイムを押されてもドアを開ける家が多いでしょうし、昔のことやプライベートなことを訊かれても、進んで証言する人が多いでしょう。こればかりは個人ではかないません。個人で家系を調べるときは地道に情報提供者との距離を縮め、信用を得るように努力する必要があります。


Q 家系調査を業者に依頼したいと思います。良い業者を選ぶコツはありますか?

A  家系図は一生に一度しか作らないものです。ですから値段で業者を選ぶような商品ではありません。値段よりも重要なことは、その業者が家系調査について、どれくらい専門的な知識を持っているかということです。たとえば明治時代の除籍は情報の宝庫ですが、知識の少ない業者に頼むと、ただ続柄通りに家系図を組むだけです。事項欄(氏名の上の欄)に書かれている家族の貴重な情報については、まったく解説してくれません。解説してくれないというよりも、解説できないのです。これではせっかく除籍を取り寄せた価値が半減してしまいます。そのうえ誤読が多いと、目も当てられません。良い仕事をする業者はそうじて価格設定も高めです。値段が高くて知識が浅いというのは最悪ですが、まずは少々高めの業者に問い合わせて、取り寄せた除籍に書かれている内容についても答えてもらえるのかどうかを訊ねるとよいでしょう。この問いに対して、言葉をにごしたり、自信のないような回答をする業者は選ばないほうが良いでしょう。


Q 行政書士や司法書士の資格をもっている業者に頼んだほうがいいでしょうか?

A  ネットで家系図を代理作製する業者を検索すると2つのグループがヒットします。1は行政書士・司法書士の業者、2は書士ではない業者です。行政・司法書士の業者のなかには、自分たちは戸籍のプロ的存在とサイトでアピールしている人もいますが、実は行政書士の試験に戸籍法の問題は1~2問しか出題されません。しかもその問題は現行の戸籍法の問題です。通常、家系図作製で取り扱う除籍は戦前・大正・明治の古い戸籍法時代に作られたものですから、これらの戸籍について、実は新人の行政書士はまったくの素人なのです。司法書士も同様です。

 現在は最高裁の判決で観賞用の家系図作製は誰でもできることになっていますから、重要なことは資格ではなく、家系調査の専門的知識をどれだけ持っているかということです。日本には家系調査を学べる学校はありません(ちなみにアメリカ、イギリスにはあります)。そのため、行政・司法書士であっても、なくても、すべての業者は自己研鑽で調査スキルを高める努力が求められます。現状では、行政書士、司法書士という肩書が明治時代の古い戸籍を扱ったり、江戸時代の古文書や過去帳を使った家系図作製(遺産相続の際に作られる相続人確定のための事実証明の家系図は除く)のプロである証には全くならないのです。


Q  業者に家系図を作ってもらいましたが、内容が正しいのかどうかが分かりません?

A  よろしければ、本HPの無料相談からお問い合わせください。すでに作られた家系図の内容や解説が歴史的事実を踏まえているか、調査漏れはないか、除籍の解読に誤字はないかなどを第三者の専門家の立場でアドバイスさせていただきます。ただし、注意していただきたいまは、このようなセカンドオピニオン(他の専門家の見解)にはかなりの時間を要するため、ボランティアの限界を超えてしまいます。そのため原則として無償ではお受けできかねます。お送りいただいた資料を拝見して、手数料をお知らせいたしますので、それでご検討の上、お申し込みください。


Q  家系図の信ぴょう性を自分で確認する方法はありませんか?

 A  最善の方法は系図の史料批判を試みることです。自分で作った系図、業者に依頼した系図、伝来の系図を問わず、書かれている内容が何の記録に基づいているのかを確認する作業です。自分で作った系図であれば、出典元の史料が一次史料(同時代人の手紙や日記)であるかどうか、一次史料であれば、その史料の外的批判と内的批判を検討することによって信ぴょう性を確認することができます。業者が作った系図であれば、個々の記事で使用した記録を一覧にしてもらい、それぞれの記録を史料批判することによって信ぴょう性を検討することができます。伝来の系図の場合は、出典が分かりませんから、他の系図や関連する記録を探し出して両方の記述の相違点を確認する作業から始めることになります。

 アメリカでもネット上にアップされている家系図の信ぴょう性について疑問の声が高まり、系譜学者認定委員会という組織が系図証明基準(Genealogical Proof Standard 。通称GPS)を定めました。これは系図の信ぴょう性を確認するため、その基になった情報や記録がオリジナルのソース(出所)なのか、オリジナルから派生したソースなのか、出来事に直接関わった人物が出来事の直後に残した一次情報(歴史学でいう一次史料)なのか、そうではない二次情報なのか、その記録はある質問に対して他の証拠を必要とせず答えを出している直接証拠なのか、他の証拠によって間接的に状況を立証している間接証拠なのかについて、逐一検討していく作業のことです。欧米では、この系図証明基準に基づいた系図しか高い評価を得られません。日本でも、このような信ぴょう性を確認する基準が一日も早く家系図の世界に導入されることを願っています。